2025年9月7日日曜日

「「空気」の研究」(山本七平著、文春文庫)で大事なことを学ぶ

以前、敗戦の原因を探る原因分析の著書の中で、軍内部の「空気」に関する記述がありました。曰く、「当時の空気としては、そうせざるをえなかった、云々」。また、日常的に「空気を読む・読まない」と言うフレーズは社会人にとって未だに大事な(?)ワードだと思います。

山本七平先生は、「日本人とユダヤ人」など日本人に関する分析や比較文化論で非常に印象深い作品を遺され、学生時代によく読ませていただきました。(小生は京都での大学生時代、理系なのに比較文化論を読み漁っておりました。今は何もアタマに残っていませんが…。)今回、久しぶりに読み直したくなって、本書を手に取りました。

本書は、日本の社会において非常に強い力を発揮する「空気」というものについて、我が国の歴史的変遷とキリスト教的世界観を比較しながら実体に迫る作品です。内容は、「空気」の研究、「水=通常性」の研究、日本的根本主義(ファンダメンタリズム)について、の3章立てです。

まず、第1章で「空気」について、戦艦大和の無謀な特攻、昭和の公害問題、自動車の排ガス規制の問題などを実例にして、専門家の間に生じる、論理的判断と空気的判断のダブルスタンダードについて論じ、ひとたび空気が醸成されてしまうと論理よりも優先されることを紹介します。続いて、空気の発生メカニズムとしてキリスト教やイスラム教との対比として、我が国独自の臨在感的把握が挙げられます。臨在感の把握として、物質への感情移入による恐れの発生・神格化が生じて、その神格化された物質から逆に支配され、金縛りにあっている状態が空気の支配と述べられます。

続く第2章では、「水」について論じ、空気の支配から逃れる手段として、水を差すという手段について考察されています。平時には水という通常性が雨のように降っているために現実から乖離することは無いが、それが通用しなくなった時に、空気が支配的になると論じています。日本共産党の歴史の変遷など様々な例を引きながら、自在に論理が展開します。結語として、「空気」も「水」も状況論理と状況倫理の日本的な世界で売れてきた、我々の精神生活の「糧」と述べられます。

最終章は、かつて「アタマの切り替え」と称して、兵士として太平洋戦争の戦地に赴いたものが、内地に戻りあっという間に行動の規範を変更し、何事もなかったかのように日常に溶け込んだことから我が国の根本主義とは何かを論じています。まず西洋における根本主義について論じたあとに、それと対極にある我が国のコロコロと変わる態度について考察が展開します。曰く、日本人は状況を臨在感的に把握し、それによってその状況に逆に支配されることによって動き、これが起こる以前にその状況の到来を論理的、体系的に論証しても動かないが、瞬間的に状況に対応できる点は天才的と述べられています。言葉は複雑ですが、これって自分に顧みても重みを感じる言葉だと思います。

かつては、日本で「空気」が支配的になるのは明治の近代化以降で、江戸時代や明治時代の初期にはむしろ唯々諾々として従うのは恥とする傾向があったそうです。今や空気の奴隷たる私のような中年男性には、逆に恐ろしい世界です。私もたまには職場で「水をさして」みようかしら、と夢想しました。そんな無謀な挑戦はさておき、ともかく本書は間違いなく名著です。特に社会人に読んで、色々考えて欲しい一冊です。