久しぶりに松本清張の短編集「眼の気流」を読み返しました。この本には、表題作の「眼の気流」の他、「暗線」、「結婚式」、「たづたづし」、「影」の5作品が掲載されています。表題作である「眼の気流」は、清張作品の重要なキーワードであるタクシー運転手が前面に出た作品です。中央自動車道沿線が出てくると安心感すらあります。鉄板ネタです。
この中で私が一番惹かれたのが最後の「影」という作品です。この作品の主人公である宇田道夫は中国地方の鄙びた温泉宿の主人で、そこへ尾羽打ち枯らした様子の笠間久一郎という老人作家が宿に逗留します。その名前を宿帳でみた主人は、そこから二十五、六年前の因縁を思い出します。
当時、宇田青年は文学で身を立てることを志しながらも貧困に喘いでいました。自分の書いた小説は一度だけ名門「R」誌に掲載されたものの、以降は作品が続かない状態でした。そんな状況で、「R」誌の編集者だった江木が下宿を訪れてきます。宇田は作品を掲載してくれるのかと早合点しますが、江木は通俗小説を書いている売れっ子作家の笠間が多忙と体調不良で原稿を落としそうなので、その代筆(ゴーストライター)を頼みたいとのことでした。宇田は、江木から将来「R」誌に作品を掲載することを掛け合う、という曖昧な約束に引きずられて渋々OKします。
宇田は笠間の文体を研究し、さらにストーリーのテコ入れをすることで、笠間の代役を果たします。それどころか、宇田が書いた笠間の原稿は非常な評判を呼びます。笠間と江木は原稿を落とさずに安堵し、宇田は今までにない大金を得ます。味を占めた、笠間、江木、宇田の三人は次々と作品を発表し、通俗作家・笠間の名声は一段と高まります。そして笠間の念願であった全国紙での連続小説を獲得します。笠間の「影」となった宇田は本体以上の能力を発揮するのですが、本体であるはずの笠間は才能が枯渇してしまい、苦悩し酒と女に溺れます。ついに綻びが生じて代作であることが露見し、笠間は追放、小説は打ち切りとなりました。
その後の宇田は自身の創作に打ち込もうとしますが、笠間の「影」が自己と同一化してしまい、自身の作品を書くことができません。江木にも見放され、笠間と同様に切り捨てられてしまいます。宇田は職業を転々としながら温泉宿にたどり着き、現在の女房と所帯をもって宿屋の主人に落ち着きます。
そこから話は冒頭に戻り、宇田が笠間の身の上を案じながら作品が終わります。
この作品は小説のゴーストライターの話ですが、研究の分野でも似たようなものはあると思います。教授が有名人で研究室に沢山のスタッフと学生を抱えている、いわゆるビッグラボになると、中間管理職的なポジションの人が、多忙な教授に代わって色々原稿を書かされたり、研究プロジェクトを指揮したりするのは良くあることです(良いかどうかは別にして)。不思議なもので、そういう若頭的なポジションでは輝いていたのに、念願叶って独立した途端にくすんでしまう人は数多く見るように思います(個人の感想です)。こういう場合は、「影」が本体と同化して、才能が枯渇したのかと思ったりします。かと思うと、出自は曖昧ながら、独立した途端に突然変異的に才能を発揮したりする人もいます。傍らで見ていて、いつも不思議に思う所です。
松本清張自身、非常な苦労をされて年を経てから世に認められた作家ですので、こういう創作活動の奥深さを感じさせるような作品が書けるのかなと思いました。