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2025年8月17日日曜日

「西郷札」(松本清張著、光文社文庫)に後の清張作品の原型をみる

松本清張短編全集第1巻の冒頭に掲載されている「西郷札」は松本清張のデビュー作の短編作品です。私は、この短編に後々の松本清張作品の鋳型を見るような気がして、度々読んでいます。この作品のあらすじは下記の通りです。

この作品は、九州の新聞社に勤める「私」が、新聞社が主催する「九州二千年文化史展」というイベントに出品する銘品を九州一円から取り寄せる所から物語が始まります。その中で、宮崎支局から西郷札(さいごうさつ)とその覚書が送られてきます。社の誰も西郷札がわからず、百科事典を引いたところ、西郷札は西南戦争の時に西郷軍が戦争中の物品調達のために発行した紙幣で、戦地を点々としながら地域の豪農などに紙幣を押し付けて食糧を確保した、と言うことが判明します。主人公は西郷札と同封されていた覚書に目を通すのですが、その内容に驚愕します。

覚書の作者は樋村雄吾という明治時代を生きた日向佐土原士族で、島津家の支藩の藩士の息子として生まれます。しかし廃藩置県により父が失業したため、一家は農業を生業として生計を建てます。雄吾が11歳の時に生母が亡くなり、15歳の時に父が若い後添えをもらいます。その義母には季乃(すえの)という5歳年下の連れ子がいました。季乃は眉目秀麗な娘で、雄吾は義理の妹ながら心惹かれてしまい、複雑な感情を抱きます。

その後、雄吾は西南戦争に西郷軍の一員として従軍し、勇猛果敢に戦い、藩札(西郷札)の製造にも関わります。しかし右肩を狙撃され、隊を離脱し、地元の素封家、伊東甚平に助けられ、九死に一生を得て生家に戻るのですが、父は既に病気で亡くなり、生家も西南戦争で焼失し、義母や季乃は行方不明になったことが判明します。

雄吾は失意のうちに東京に出て、ふとしたきっかけから人力車の車夫として働きだします。ある時、客として塚村圭太郎という政府の役人を乗せたことで人生が動き出します。何と季乃は塚村の妻となっていたのです。季乃の語るところによれば、西南戦争の折に父が亡くなり、母と共に東京の親戚を頼って上京し、塚村に見初められて嫁いできたとのことでした。季乃は雄吾と兄妹として逢瀬を重ねますが、雄吾は心の奥底に季乃に対する恋愛感情が芽生えてしまい懊悩します。その様子を塚村に見透かされ、塚村は嫉妬の炎に狂い密かに二人の逢瀬を監視します。

そんな折、幡生粂太郎(はたぶ・くめたろう)という人物から塚村を通して西郷札を政府が買い上げてもらうように働きかけを依頼されます。これは、かつて三菱財閥の祖である岩崎弥太郎の藩札買い占めの再現を狙って大儲けを企んだものでした。雄吾は季乃に対する負い目から気乗りはしないものの、結局は塚村に依頼します。塚村は快諾し、雄吾と粂太郎に極秘裏に宮﨑で藩札の買い占めを勧めます。二人は宮崎に移動し、素封家の伊東甚平も巻き込んで買い占めを図るのですが、どこからか情報が漏れたらしく、全財産を投じても思うように西郷札が集まりません。一旦、雄吾が東京に戻ると、政府による西郷札の買い占めは行われず、それどころか雄吾が風説の流布により警察に追われていることが判明します。あまりの事に動揺する雄吾。その後、季乃と合ったことで全てが判明します。塚村は雄吾に強い嫉妬を感じており、偽の買い上げ情報を伝えることで雄吾を犯罪者に仕立て上げたのです。雄吾は逃げるか、裁判に訴えるか、あるいは最後の手段か、という3つの選択肢を考えます。熟考の挙句、やはり最後の手段しかないと結論付けたところで、覚書は終わりを告げます。以降の部分が何者かによって破られていたのです。最後は、主人公が西郷札買い上げのデマに関する明治時代の新聞記事を眺めるところで物語が閉じられます。


私が考える、この作品にみられる後の清張作品の原点としては、まずタクシー好きが挙げられます。タクシーは清張作品の重要なアイテムだと思うのですが、明治時代のタクシーである俥(くるま)、人力車を登場させている点が「らしい」と感じます。運転手と乗客という見知らぬ者同士が、偶然時間を共有する、そういう場面が好きなんですね。

さらに、ミステリーにもかかわらず、敢えて最後のところ(=殺し)を書かない、という点もらしさを感じます。結局、雄吾はその後、塚村を殺して季乃と逃げたのではないかと推量されますが、それは一切が読者の想像に任されます。私の好きな「鉢植えを買う女」という清張作品でも、どう考えても主人公が会社の同僚を殺しているのですが、直接の描写はありません。奥ゆかしいのか、書かないことで、よりリアルさを感じさせているのか、兎に角のちの作品に頻出のパターンだと思います。

あとは、文献を引用する構図を多用する、という点が挙げられるでしょうか。この作品も西郷札に付いていた覚書を主人公が読んで解説する形で物語が展開します。先日勝手に紹介した「装飾評伝」も同じパターンに該当します。

私のような清張好きにはたまらない作品です。

2025年7月24日木曜日

「危険な斜面」(松本清張著、文春文庫)の「投影」に元気をもらう

たまには爽やかな気分になりたいと、短編集「危険な斜面」(松本清張著、文春文庫)に収蔵されている、「投影」を読み返して元気をもらいました。

この作品の主人公は、田村太市という若者で、東京の一流新聞社で記者として働いていたが、上司と喧嘩して社を飛び出してしまいます。そして嫁の頼子と共に瀬戸内のS市に居を移します。二人はしばらくのんびりしていたのですが、やがて頼子はS市のキャバレーで働くようになり、太市も市政を報じる陽道新報社という小さな新聞社に記者として就職します。陽道新報社は社長の畠中嘉吉とその細君、記者の湯浅新六の3人しか在籍しておらず、発行部数も千部程度の弱小新聞社でした。そんな小さな会社ですが、社長は貧乏に甘んじ、しかも病床に臥していながらも正義感が強く、いつも気炎を上げています。一方、記者の湯浅は猫背で周囲には卑屈に振る舞っているが、時折り芯の強さを感じさせる中々の好人物であり、太市は彼らに惹かれていきます。

そんな折、太市は市役所を訪問中に市会議員の石井が土木課長の南を恫喝している所を目撃します。どうやら石井は道路予定地上に自身が所有する廃工場に対して、400万円の立退料を南課長に要求しているが、その要求を拒絶されて脅しにきたらしいのです。しかし、南は気の弱い人物ながら正義感が強く、意地を通して突っぱねます。

そのうちに人事異動があり、南課長の部下だった山下係長が新設された港湾課の課長に昇進します。山下は石井議員の腹心でした。そして山下課長の昇進祝いの夜、南課長が自転車で帰宅途中に海に転落して死亡します。警察は事故死ではないかと推定するのですが、社長は石井らによる他殺であることを見抜きます。太市と湯浅は苦労しながらも手分けをして情報を集め、彼らの殺人トリックと助成金詐欺をあばきます。そしてすべてが解決したのち、太市は再び東京に職を得て、夫婦でS市を離れるのです。

本作品は清張作品によくある官民の癒着が絡んだ殺人事件とその解明がテーマながら、中央の新聞社から追い出された主人公が田舎の小さな新聞社で自己を見つめ直して成長し、再び中央に戻っていく、という成長物語が織り込まれた爽やかな(?)作品です。

最後の主人公夫婦と陽道新報の面々との別れのシーンも感動的で、清張版の青春小説という印象を受けました。

2025年7月22日火曜日

「装飾評伝」(松本清張著)の執拗な嫌がらせに戦慄する

夏なのでゾクゾクしたくて「装飾評伝」(光文社文庫・松本清張短編全集09巻収蔵)を読み返しました。オバケも怖いし私はその手の話はとても苦手ですが、多分人間の方がより怖いだろうと思わせてくれる素敵な作品です。


この物語は、小説家で主人公の「私」が名和薛治という明治から昭和初期まで活躍した画家を題材に小説を書こうとするところから始まります。名和は明治21年に東京で生まれ、日本の画壇で異彩を放つ活躍をみせたのち、渡欧しアントワープに滞在してボッシュやブリューゲルに私淑します。日本に戻って来てからも北欧の写実的なエッセンスを取り入れた独自の境地を切り開きますが、何故か徐々に精彩を失い、私生活も荒んでいき、昭和6年に石川県の能登の海岸で不慮の死を遂げる、という生涯を辿ります。ここで主人公は、名和に関する情報は全て芦名信弘という名和の画家仲間が書いた評伝に依っていることに気づきます。そんな折、芦名が72歳で亡くなると言うニュースを受け、情報のソースを失って愕然とします。

そこで主人公は一念発起し、芦名の遺族である娘の陽子に面会して情報を得ようとしますが、拒絶されてしまいます。さらに、名和のかつての画家仲間で現在は画壇の重鎮になっている葉山光介を訪ねたところ、娘の出自について名和の子ではないかと示唆を得ます。そのことに主人公は衝撃を受け、芦名が評伝に書いた内容の行間に潜む、恐るべき作為に気づきます。どうやら芦名は夫婦で名和と交際しているうちに、名和と奥さんができてしまい、名和の子を身ごもったのです。そのことで芦名は名和には告げずに嫁を追い詰めて離縁し、自殺に追いやり、生まれてきた娘の陽子を引き取ります。そして表面上はこれまでと同様に名和との関係を保ちながら、娘を連れて名和を執拗に訪れることで、精神的に追い詰めていきます。名和は懊悩し、都会を離れて青梅の山奥に引きこもりますが、それでも芦名は追跡の手を休めることはありません。徐々に名和は身を持ち崩し、遂に自暴自棄となり能登の海岸で事故とも自殺ともつかない転落死で亡くなります。芦名はほぼ同年代の名和が持つ光り輝く才能に魅了され、強烈に引き付けられる一方、自身の画才は委縮し、家族も無茶苦茶にされます。その愛憎が深く入り混じるドロドロとした感情の結末として、一人の天才を完膚なきまで叩きのめします。そしてその事を平然と評伝として後世に伝えるのです。


この作品は、わずか40ページ足らずの短編ですが、切れ味が鋭く、読後の胸糞の悪さは何とも言えません。主人公である第三者が既に書かれた出版物の何気ない行間に潜むサスペンスを洗い出す展開は、同じく傑作短編作品である「西郷札」に似ています。こういう日常に潜む人間の恐ろしさを書かせたら天下一品だと思います。

2025年7月21日月曜日

「眼の気流」(松本清張著、新潮文庫)の「影」が心に沁みる

 久しぶりに松本清張の短編集「眼の気流」を読み返しました。この本には、表題作の「眼の気流」の他、「暗線」、「結婚式」、「たづたづし」、「影」の5作品が掲載されています。表題作である「眼の気流」は、清張作品の重要なキーワードであるタクシー運転手が前面に出た作品です。中央自動車道沿線が出てくると安心感すらあります。鉄板ネタです。

この中で私が一番惹かれたのが最後の「影」という作品です。この作品の主人公である宇田道夫は中国地方の鄙びた温泉宿の主人で、そこへ尾羽打ち枯らした様子の笠間久一郎という老人作家が宿に逗留します。その名前を宿帳でみた主人は、そこから二十五、六年前の因縁を思い出します。

当時、宇田青年は文学で身を立てることを志しながらも貧困に喘いでいました。自分の書いた小説は一度だけ名門「R」誌に掲載されたものの、以降は作品が続かない状態でした。そんな状況で、「R」誌の編集者だった江木が下宿を訪れてきます。宇田は作品を掲載してくれるのかと早合点しますが、江木は通俗小説を書いている売れっ子作家の笠間が多忙と体調不良で原稿を落としそうなので、その代筆(ゴーストライター)を頼みたいとのことでした。宇田は、江木から将来「R」誌に作品を掲載することを掛け合う、という曖昧な約束に引きずられて渋々OKします。

宇田は笠間の文体を研究し、さらにストーリーのテコ入れをすることで、笠間の代役を果たします。それどころか、宇田が書いた笠間の原稿は非常な評判を呼びます。笠間と江木は原稿を落とさずに安堵し、宇田は今までにない大金を得ます。味を占めた、笠間、江木、宇田の三人は次々と作品を発表し、通俗作家・笠間の名声は一段と高まります。そして笠間の念願であった全国紙での連続小説を獲得します。笠間の「影」となった宇田は本体以上の能力を発揮するのですが、本体であるはずの笠間は才能が枯渇してしまい、苦悩し酒と女に溺れます。ついに綻びが生じて代作であることが露見し、笠間は追放、小説は打ち切りとなりました。

その後の宇田は自身の創作に打ち込もうとしますが、笠間の「影」が自己と同一化してしまい、自身の作品を書くことができません。江木にも見放され、笠間と同様に切り捨てられてしまいます。宇田は職業を転々としながら温泉宿にたどり着き、現在の女房と所帯をもって宿屋の主人に落ち着きます。

そこから話は冒頭に戻り、宇田が笠間の身の上を案じながら作品が終わります。

この作品は小説のゴーストライターの話ですが、研究の分野でも似たようなものはあると思います。教授が有名人で研究室に沢山のスタッフと学生を抱えている、いわゆるビッグラボになると、中間管理職的なポジションの人が、多忙な教授に代わって色々原稿を書かされたり、研究プロジェクトを指揮したりするのは良くあることです(良いかどうかは別にして)。不思議なもので、そういう若頭的なポジションでは輝いていたのに、念願叶って独立した途端にくすんでしまう人は数多く見るように思います(個人の感想です)。こういう場合は、「影」が本体と同化して、才能が枯渇したのかと思ったりします。かと思うと、出自は曖昧ながら、独立した途端に突然変異的に才能を発揮したりする人もいます。傍らで見ていて、いつも不思議に思う所です。

松本清張自身、非常な苦労をされて年を経てから世に認められた作家ですので、こういう創作活動の奥深さを感じさせるような作品が書けるのかなと思いました。




2025年6月29日日曜日

「なぜ「星図」が開いていたか」(松本清張著、光文社文庫)でトリックに溺れる

推理小説では、犯人が様々なトリックを弄し、読者は読み進めながらそれを看破するのが楽しみ方の一つと思います。しかし、トリックの中には「流石に無理だろう」というが多々あり、それにツッコミを入れるのもまた楽しみの一つです。

松本清張作品の短編の中にもそうしたツッコミ欲を掻き立てられる作品があるように思います。例えば、前の記事の「馬を売る女」に収蔵された「駆ける男」では若い後家さんが旦那さんを殺すのに「ハシリドコロ」という山菜を使います。私としては、何もそれを使わなくてもと思ったりしました。というのも、仕事で動物実験をすると、投与量のちょっとした違いで必ずしも思った効果が得られなかったりします。なので、投与量が安定しない(どのくらい毒が含まれているか定量できない)食べ物を殺人に使うのはリスクが大きい気がしました。量を増やすとバレやすいしね。物語の中では、念願かなって旦那さんは亡くなり、しかも偶然死の間際に以前関係のあった女性と居合わせたので、捜査陣を攪乱することになりました。

「なぜ「星図」が開いていたか」(松本清張短編全集、第7巻収蔵)も30ページくらいの短編ながらツッコミどころが多くて好きな作品です。本作では旦那の同僚と不倫をしている奥さんが、旦那の同僚と結託して、バレないように夫の殺害を企図するのですが、構想が遠大です。夫は心臓が弱いのを利用して心臓麻痺による殺害を狙うのですが、そのために職場で炎天下にハンガーストライキ(ハンスト)を決行し、そこに義侠心の強い夫を参加させます。ストライキを起こすだけでも一苦労です。きっと色々な反対意見があったことでしょう。同僚の方はそれらを巧みに説得したのかと思うと、ご苦労が偲ばれます。そしてハンストで疲弊した状態で帰宅した夫に不倫妻がある方法でびっくりさせて仕留めます。その方法が悪戯レベルなので、流石に無理があるように思いました。作中では念願かなって上手く行くのですが、死亡診断書を書いたお医者さんと刑事さんの手によって犯罪が暴かれて幕を閉じます。警察は優秀ですね。

トリックが前面に出た作品は一種の思考実験として楽しいです。



2025年6月23日月曜日

「馬を売る女」(松本清張著、文春文庫)で清張ワールドを楽しむ

久しぶりに松本清張著、「馬を売る女」を読み返して、清張ワールドを楽しみました。この本は短編集で、表題作の他、「駆ける男」と「山峡の湯村」の2作が収蔵されています。

私としては、「馬を売る女」が好きです。あまり言うとネタバレになってしまいますが、この小説には、以前紹介した「鉢植えを買う女」のように小金を貯めて会社内で個人的な高利貸しをする独身の女性が登場します。「鉢植えを買う女」との違いは、更にもう一つ副業を持っている点で、その副業が競馬の情報屋です。これは社長秘書という立場を利用して、社長の所有する競走馬の状態に関する情報や、社長の馬主仲間からもたらされるディープな情報を極秘裏に会員に伝えて小銭を集めるというものです。結局、それが元で…となります。この辺りがとても清張的です。さらに犯罪が露見するのも、折角迷宮入りとして捜査が打ち切られかけていた矢先に、犯人が自ら不要な申告をして…というお馴染みの展開になります。短編を読みまくった私には安心の展開です。

「駆ける男」は若い後妻さんが旦那さんを…というお決まりの話ですが、その殺害方法が面白いです。何もそんな持って回ったやり方しなくても、と思います。しかし、折角の完璧な計画もコソ泥のような収集マニアのせいで犯罪が露見します。天網恢恢疎にして漏らさず、です。

「山峡の湯村」は田舎のドロドロとした人間関係が良いです。海女さんは独特な言葉を使うんですね。清張作品は、ちょっとした台詞の端に出てくる単語をきっかけに物語を展開していくのが多いですね。有名どころで言うと、長編「砂の器」の冒頭で出てくる重要な台詞に含まれる「カメダ」という単語などは、まさにその典型ですね。



2025年4月19日土曜日

松本清張著、「腹中の敵」に隔世の感を覚える

同じ作品でも時代を経ると受け手の印象は変わるものだと思いますが、松本清張の短編小説「腹中の敵」を最近読み返して、改めて昭和と今では感覚がまるで違うと思いました。

この小説の主人公は、織田信長の家臣だった丹羽長秀です。丹羽家は旧くは斯波氏に遣えた名門の出で、織田家臣団の中でも家格が高く、長秀も実力・地位で柴田勝家と双璧をなします。一方、木下藤吉郎(豊臣秀吉)は織田家臣団の最下層から身を起こし、次々と手柄を立てることで物凄い勢いで出世の階段を駆け上がります。そんな藤吉郎を柴田勝家や滝川一益といった他の家臣団のメンバーは良く思わないのですが、長秀だけは寛容な気持ちで受容し、藤吉郎も長秀に敬意を払います。やがて織田軍団の勢力は全国統一に向けて戦線を拡大していきます。そんな最中に信長が本能寺で明智光秀に突然討たれます。藤吉郎は中国地方に遠征していましたが、有名な中国大返しで近畿に戻り光秀を討ちますが、長秀も藤吉郎の軍勢に加わり戦を助けます。その後の信長の後継者を決める清州評定でも長秀は藤吉郎を支持し、実質後継者になることを了承します。こうして常に長秀は藤吉郎をサポートしますが、内心は自分の方が名門の出で先輩であるという自尊心と、後輩の期待に応えたいという見栄の間で葛藤します。最後は積聚(しゃくじゅ)という不治の病で命が長くないことを悟り、自ら腹を割くのですが、腹の中から血まみれの異形な尖り曲がった一物(寄生虫?がん?)が出てきます。長秀はそれを秀吉に見立てて思う存分切り裂いて命が果てて物語が終了します。

小説のメッセージは要するに、勢いのある後輩に追い抜かれてその部下になるのが嫌だった、ということだと感じたのですが、そこにとても昭和を感じてしまいました。昨今のご時世では、この小説が前提としている終身雇用・年功序列という夢のようなシステムは完全に崩壊し、頼りになるはずの大組織も簡単に崩壊する世の中になっております。そのような状況では、小説で描かれている長秀の「伸びそうな後輩に早くから目をかけておいて、後々そいつの引きで安泰に暮らす」というスタイルは大成功と言える気がします。

私から見ると、一世代上の人達が持ち家・自家用車・4人家族を当たり前のように手にしながら、人生の不満を言っているシーンを目の当たりにするような羨望と嫌悪を感じてしまいました。



2025年4月5日土曜日

松本清張著、「空白の意匠」が心に沁みます

ここしばらくは、某テレビ局のCM差し止めが続いていますが、それに関わる営業の方々はきっとご苦労されていると推測しております。その心情の一端でも感じることができる短編小説が松本清張の「空白の意匠」です。

この小説は、地方で発行部数十万部に満たない小新聞を発行しているQ新聞社、広告代理店である弘進社、広告主である和同製薬の三社を舞台にした社会派小説です。主人公はQ新聞社の広告部長である植木欣作です。Q新聞は収入の大半を弘進社が回してくれる広告収入に依存しており、中でも和同製薬は大広告主です。ある日、Q新聞は和同製薬の主力商品であるランキロンという強壮剤がもとで中毒死が生じたという記事を商品名を明記して報じてしまいます。しかもランキロンの広告の上に二段で記事を配置するという間の悪さです。これに弘進社も和同製薬も激怒し、植木は肝を潰します。慌てて弘進社にとりなすも、郷土新聞課長の名倉には会ってもらえず、若い副課長の中田には散々嫌味や罵倒を浴びせられます。植木はなんとか事態を好転させようとQ新聞の編集部や専務に掛け合ったり、東京の弘進社に出向いたり、和同製薬へお詫びに伺ったりしますが、一向に状況は改善しません。さらに中毒死自体がランキロンが原因ではないことがわかり、全面的な訂正を求められます。植木は屈辱に耐えながらも唯々諾々と彼らの意向に従いますが、最終的な着地点が少しも見えてこず不安な日々を過ごします。

そんな折、事態収束の鍵を握る、弘進社の郷土新聞課長の名倉がQ新聞社を訪れます。植木は専務らと共に社を挙げて名倉を接待し、名倉も終始上機嫌で応じます。そのまま接待は終わり、列車で帰路につく名倉をQ新聞社一同が安堵しながら送り出そうとした刹那、名倉は専務を呼び、それまでの上機嫌とは一変させてこう言います。

「あたしもね、せっかく、ここに来たんですから、今度の厄介な問題については、和同製薬さんに何かオミヤゲを持って帰らねばなりませんでな。これはわかっていただけるでしょうね。」

専務はその意味を了承し、植木はその日のうちに辞表を書かされて物語が終わります。


何度読み返しても最後の1ページは心が震えます。松本清張のラストシーンの切れ味の良さは絶品です。途中、植木が忍従を強いられる場面なども社会人経験が長くなるにつれて、心に沁みます。きっと某局界隈でも、この小説の植木のように立ち回りに苦労されている方が沢山おられるのだろうと想像が膨らんでしまいます。仕事って大変ですね。

2025年2月13日木曜日

「支払い過ぎた縁談」(松本清張著、光文社文庫)が心に沁みる

疲れた時は松本清張の短編ということで、「支払い過ぎた縁談」を読み返しました。この作品は、松本清張短編全集の10巻(光文社文庫)に収納されている作品で、昭和32年(1957年)の間に書かれた短編です。この作品は一切の無駄のない、詐欺事件の要約文のような短編です。

巻末の作者自身の作品評によると、軽い短編として週刊誌に載せたもので、Oヘンリーのような短編の味を狙ったもの、だそうです。Oヘンリーというと英語の授業で習った、「最後の一葉」くらいしか知らないのですが、どちらかと言えば心温まる作品を書いていると思います。この作品は、それよりも松本清張の色が出ていて、無慈悲で現実的な雰囲気が良いです。大人になると変な慰めよりも、こちらの方が心に沁みます。

作品では、資産家親子がプライドの高さに付け込まれてしまい結婚詐欺に遭います。こういう無駄なプライドが色々な隙を生みだす元なのですが、小市民の私にはそういう隙が生じてしまう心の弱さも良くわかります。とても身につまされる作品です。


あらすじ(昭和32年の社会通念と貨幣価値です。目くじら立てないようにお願いします)

 萱野家は、とある田舎の地主であり、徳右衛門(とくえもん)はその当主である。徳右衛門には三人の子供がおり、下二人の男児はまだ学校に通っているが、一番上の幸子は26才の独身で家に居る。徳右衛門と幸子の所には、これまで沢山の縁談が持ち込まれたが、親子共にプライドが高く、自分たちのような名家には不釣り合いとの理由で断り続けた。その結果、幸子は婚期を逃してしまい、親子は内心焦っていた。

 萱野家には家に代々伝わる貴重な古文書があり、しばしば研究者の訪問を受けることがあった。そんな折、東京のXX大学文学部講師の高森正治と名乗る人物が徳右衛門のもとを訪れる。彼は徳右衛門に古文書を見せてほしいと言い、古文書を撮影したあと、御礼の品として自分が発掘した石器時代の石包丁を徳右衛門に渡す。そして去り際に幸子に婚約があるかを確かめて萱野家を去った。

 それからしばらくして、高森の叔父で弁護士の高森剛隆(たかもり・ごうりゅう)という人物が萱野家を訪れる。曰く、甥が先日こちらを訪れた際に、幸子に一目惚れし、是非甥と婚約してほしいと切り出す。徳右衛門、幸子の親子は、将来は大学教授という高森正治の洋々とした前途を思い、この縁談に至極満足する。そののち、幸子と正治の間で心のこもった文通が始まり、正治から金の指輪や小さな金側時計が送られる。

 そんな折、萱野家の前に見たことも無いような高級車が故障して止まり、中から細見で長身な桃川恒夫という男が下りてくる。桃川は車を修理して手が汚れたため、手を洗わせてほしいと幸子に願いでる。幸子と徳右衛門は恒夫の美貌と富裕の匂いに動揺し、正治との縁談に迷いが生じる。それから間髪入れずに恒夫の母と名乗る人物が萱野家を訪れ、幸子と恒夫との縁談を切り出す。曰く、桃川家には4,5千万円の財産があり、それらは全て一人息子の恒夫が相続すること、結納金は300万円ほど用意することを告げられる。さらに徳右衛門親子は、恒夫の東京のアパートに招待され、その外国映画のような豪華な暮らしに圧倒される。彼らは正治との縁談を破談にすることを決め、指輪や時計を正治に返却する。

 破談を聞きつけた高森剛隆は怒り狂い、萱野家を訪れ、慰謝料80万円を要求する。徳右衛門は、はじめは要求を突っぱねるが、幸子から正治に当てた手紙の数々が桃川家に渡ることを恐れて思案する。彼は、頭の中で桃川家からの結納金300万円があれば80万円差し引いても220万円残ると計算し、所有する山林を売り払って高森の叔父に80万円支払う。

 これで障害はなくなったと安堵する萱野親子であったが、不思議なことに桃川家との連絡が途絶えてしまう。不安になった萱野親子は東京の恒夫のアパートを訪れると、既にもぬけの殻で、それは高森正治のアパートも同様であり、自分たちが詐欺にあったと知る。心に沁みる原作の最後の一文がこちら、「石器時代の石包丁は粉々に割られて庭のどこかに捨ててある。しかし、これは4人の詐取者が置いていった唯一の高価な置き物であった。」



2024年9月24日火曜日

「断崖」(松本清張著、双葉文庫)を読んで(清張大好き!)

双葉文庫 松本清張初文庫化作品集2巻、「断崖」を久しぶりに読み返してみました。この本には、表題作の他に、濁った陽、よごれた虹、粗い網版、骨折の4編が収められています。2ページで終わる骨折は別にして、濁った陽、よごれた虹、粗い網版は、社会派推理作家の肩書にふさわしい組織に潜む悪や闇を扱っております。

これに対して表題の「断崖」は異色な短編です。この作品は、誠実で知られていた老人が、若くて美しい娘さんの乱れた姿についムラムラしてしまい、娘さんが熟睡している間にコッソリいけないことをしてしまった話です。その後、自責の念と周囲の好奇の目に耐えられなくなり、ついに老人は自死してしまいます。自殺の名所で自殺者を食い止めるための仕事をしているのに、最後は自分が海の藻屑と消えるという何とも切ない話です

昨今では、警察の御厄介になったり、周囲に酷いことをしたような人たちでも「鋼のメンタル」とやらで何事もなかったようにするのが横行している中で読むと、悪いことは悪いのですが、こうした小市民的な振る舞いが心にしみます。松本清張のこういう短編もすごく好きです。


《あらすじ、ネタバレ注意》

北海道のR町にあるエシキ岬は国定公園の一角にあり、海食崖と岩礁の発達が著しく、80メートルの断崖が続いている。その岬の根元の入江には町営の宿泊センターがあり、そこには二人の管理人、62歳の谷口彦太郎と60歳の向井万吉がいた。二人は共に町役場の元職員で、現在は町の嘱託である。温厚な谷口に対して向井は陰気な性格で、お互い険悪な関係だった。二人の任務は宿泊客の応対と共に、岬に自死をするためにやってきた自殺志願者の監視であった。昼間は二人一緒に勤務し、夜は交代で一人残り、時折訪れる客の応対をした。

ある晩秋の夜、谷口が当直の時に、歳の頃22、3歳の美女がずぶ濡れで訪れる。彼女は自殺しようとして死にきれず、宿泊センターに助けを求めてやってきたのだ。谷口は疲労困憊する女を介抱し、食事を与えて床に就かせる。しかしその最中も女性の艶やかな姿態が目に付いて落ち着かない。女性を部屋に寝かしつけて、自分は別室で休もうとするのだが気持ちが昂ってしまいどうしても眠ることができない。ついに夜半過ぎに女性の部屋に忍び込み、昏倒するように眠る女性を相手に思いを遂げる。女性は何をされたのか気づかないまま、次の日体調を回復して帰って行った。その後、一週間して女性から礼状が届いた。

しばらくして谷口が女性と関係を持ったのではないかという噂が立った。向井が吹聴したのだ。その噂が広まるにつれて周囲の人たちの谷口を見る目が変わってきた。これまで柔和で親しみやすいと思われてきただけに、人々は落胆し谷口を気味悪がった。噂は町役場にも届いたが、証拠がある訳では無いので周囲はそれ以上は踏み込んでこなかった。その遠巻きに見られている感じが逆に谷口を苦しめた。

冬の間にセンターは閉鎖されているが、その間も周囲の人達の視線は変わらなかった。谷口はみるみる憔悴して痩せていった。

やがて春が近づき、再び女性から手紙が届く。そこには良縁に恵まれて結婚すること、自分が立ち直る契機になったエシキ岬を今度は夫婦で訪れたいと書かれていた。夫婦が訪れると予告した三日前、谷口はバスの乗客が一人帰りが遅いので探してくると言って、センターを出たまま戻らなかった。次の日、海中を覗くグラスボートの客が藻のそよぐ草原を漂う谷口を発見した。

2024年9月6日金曜日

「鉢植えを買う女」(松本清張著、光文社文庫)を読んで(清張大好き!)

 「鉢植えを買う女」(光文社文庫プレミアム、松本清張プレミアムミステリー「影の車」収蔵)

本作品の主人公は、結婚を諦めた中年女性が代わりにお金に執着する話です。こういう主人公は、他の短編、例えば「馬を売る女」にも出てきます。しかし「馬を売る女」は中年女性がお金目当ての男性に籠絡されて、ずぶずぶの泥沼にはまってしまうのですが、本作の主人公は冷静さが半端ないです。本作の主人公もお金目当てに寄ってきた男性と肉体関係を結びますが、それと金銭関係とは完全に別扱いで、(そのシーンは書かれていないのですが)大金を掴むチャンスと見るや容赦なく相手を殺して金を奪います。しかも(そのシーンも明確に書かれていないのですが)アパートの自室の浴槽に鉢植えの土を入れ、死体を埋めて白骨化させ、その「動物の脂がしみ込んだ」土で野菜や花を育てます。呆れるような鬼畜っぷりですが、本人は一切後ろめたさを示すことなく、とても穏やかに振る舞っており、その静かな狂気がゾクゾク(ワクワク)します。こういう清張作品は大好きです!


あらすじ(ネタバレ注意):

上浜楢江はA精密機械株式会社の販売課に勤める会社員である。周囲の若くて綺麗な女性社員たちが次々と結婚して退社していくなか、彼女はその機会を失い、徐々に金銭の貯蓄価値を信仰していく。彼女は蓄財し、会社の同僚や寿退社した女性たちに月に一割の利子で金貸しを始める。同じ会社の会計課に勤める杉浦淳一は楢江に金を借りる常連だった。彼は社交的で女好き、さらに無類の競輪好きで年中金に困っていた。ある日、彼は楢江の部屋を訪れ、彼女と関係を持つ。しかし彼女は動じない。

そのうちに杉浦は会社仲間からの借金だけでは返済が追いつかなくなり、会社の金を八百万円横領して逃げてしまった。金を持って逃げる途中、杉浦は楢江の部屋に立ち寄り、一晩泊めて欲しいと頼む。楢江は、土曜にも拘わらずスーツケースを持つ杉浦に不審をいだきつつも承諾する。そのうちに杉浦がビールを買いに行ってほしいと頼む。珍しく彼は自分の財布を出して楢江にお金を渡すのだが、中身には五千円札がギッシリと詰まっていた。楢江がビールを三本買って帰ると、杉浦はスーツケースを枕にして横になっていたのだが、スーツケースは頭を載せているにもかかわらずあまりへこんでいない。楢江は初めて状況が尋常でないことに気づく。

その後、杉浦は蒸発し、消息は杳として知れなかった。一方の楢江は相変わらず会社に出て、金貸しに精を出すのだが、心なしか周囲に対して穏やかになる。また、彼女は大型の観葉植物の鉢植えを自宅に買い集め、会社で風呂をすませるようになる。そのうちに、どこから資金を得たのか、楢江は中央線沿線に庭付きの一戸建て住宅を一千万円で購入する。そして自分の庭に花壇と畑を作った。その土はわざわざ木箱に詰めてアパートから運び込んだものを使った。その後、花や野菜たちは周囲の人達が感心するほど見事に成長する。栽培のコツを聞かれた楢江は、土に肥料を充分にしみ込ませることだと答える。どうやら彼女が使った土には「動物の脂」がたっぷりとしみ込んでいたようだ。

その年の暮れに、彼女の住宅から1キロほど離れた雑木林で男性の白骨死体が発見されたが、身元はわからず、犯人も捕まらなかった。



2024年9月5日木曜日

「青のある断層」(松本清張著、光文社文庫)を読んで(清張大好き!)

「青のある断層」(光文社文庫、松本清張短編全集、2巻収蔵)は、松本清張の短編の中で一番好きな作品かもしれません。方々の解説では、この作品は画家がネタに困って素人の絵をパクった話として紹介されることが多いのですが、他の誰も価値を認めなかった素人画家の作品の中に含まれる独特のエスプリを見通した、一流の画商と画家の見る目の確かさ、優れた芸術のセンスが良く表されると思います。私はちょっとだけ音楽をやっていた(中学と高校が吹奏楽部、大学はオーケストラ)のですが、残念ながら音楽のセンスが全然なかったので、センスのある人を見ると羨ましかったです。私から見ると、優れたセンスのある人は私がとても見通せない、確固たる「何か」を実物のような感覚で見ていたように思います。その感じが、この作品に登場する画商と画家とのやり取りでリアリティを持って描かれています。

松本清張の作品、特に短編は油断すると最後の数行で急に登場人物が殺されて白骨になったりするショッキングな作品も多いのですが、この作品は登場人物が最後まで誰も死なないので安心です。


あらすじ(ネタバレ注意):

畑中良夫は山口の萩から東京に出てきた素人画家で、バーの女給をしている妻の津奈子に生活費を稼いでもらって日々好きな絵を描いている。ある時、自分の絵を見てもらおうと銀座の一等地に画廊を構える画商・奥野の下を訪ねる。普段は素人画家はおろか若手の画家も容易には相手にしない奥野だったが、ふとした事から畑中の絵を見ることになる。思った通り畑中の絵は中学生の自由画とのいうべき酷い絵なのだが、そこに「何か」を感じた奥野は絵を買い取る。

奥野には、姉川滝二という長年に渡り公私ともに支え続けた盟友ともいえる画家がいた。今でこそ姉川は画壇も注目する画家であるのだが、生来が寡作で現在も筆が進まず奥伊豆の温泉地、舩原に引きこもって懊悩の日々を送っていた。奥野はそこへ出向いて姉川に畑中の絵を見せる。姉川は畑中の絵に潜む「何か」から強いインスピレーションを受けて自分の作品に取り入れる。

一方の畑中は一流の画商から自分の絵を買い取ってもらえて有頂天になるのだが、周囲の画家仲間は不思議でならない。畑中も徐々に不安になり、他の画家に私淑して絵を学ぶ決心をする。ところが技法を学び自分でも絵が上達したと思った途端、奥野画廊から絵を買い取ってもらえなくなる。

姉川は畑中の絵からインスピレーションを受けて以降、旺盛な創作活動を再開する。彼の傍らには奥野から届けられた畑中の絵の数々が積んであった。奥野は姉川の下を訪れ、彼の生気に満ちた目を見て一切を満足する。そして二人で最後に畑中から買い取った絵を眺め、これまで絵の中にあった「何か」が技法の上達によって失われたことを語り合う。

絵が売れなくなった畑中は生活が苦しくなり、津奈子を連れて故郷の萩に帰る決心をする。東京での最後の思い出にと、夫婦で伊豆旅行に出かけ、舩原の宿に泊まる。その宿は奇しくも姉川が創作に苦しんで引きこもった温泉宿だった。畑中は客室で新聞の美術欄に書かれた姉川の新作「青のある断層」の記事を読みながら、姉川と同じ宿に泊まったことを今後の一生の自慢にするだろうと思いを馳せて物語は閉じる。