2019年1月23日水曜日

東京は坂だらけ、文京区も坂だらけ

稀勢の里関に続き、豪風関も引退してしまいました。身体はそれほど大きくありませんが、強烈なぶちかましと必殺のはたきで30歳過ぎてからも番付をどんどん挙げていく姿が好きでした。何とか四十歳を過ぎても幕内で頑張ってほしかったのですが残念です。弟弟子の嘉風関も大好きなので、一日でも長く現役で頑張って欲しいです。

さて、東京の都心を散歩していると坂道が多いのですが、驚くのはその一つ一つに名前がついていて、大抵は何やら大仰な由来などがあることです。ということで職場のある文京区本郷界隈の坂道を少し集めてみました。

最初は台東区池之端から文京区湯島にかかる無縁坂です。森鴎外の小説に出てくるそうです。あとグレープの唄にあるようです。右側にあるのが旧・岩崎邸庭園です。

次が菊坂です。静かな通りで、樋口一葉が通った質屋さんの跡とかが通り沿いにあります。

下は炭団坂(たどんざか)です。司馬遼太郎著・街道をゆく・37巻「本郷界隈」に出てくる坂なのですが、実に分かりにくい所にあり、見つけるのに苦労しました。坂の上の右側の建物の位置に、かつて坪内逍遥が住んでいたそうです。

炭団坂の隣にあるのが下の鐙坂(あぶみざか)です。右にある旧家は国語学者の金田一京助、春彦の住居だったそうです。

下は梨木坂(なしのきざか)だそうです。大分、住宅地に入り込んでいます。

東富坂です。これは大通りで車の往来も激しいです。写真の右手奥には柔道の講道館があります。

こちらは東京大学の本郷キャンパスと弥生キャンパスの間にある、弥生坂(鉄砲坂)です。この辺りで有名な弥生式土器が出たそうです。この辺は江戸時代に水戸藩の中屋敷があったところで、弥生の由来は水戸藩の藩主・徳川斉昭公の和歌にあるそうです。歌碑に刻まれた、三月を表す「弥生」から街の名前がついて、そこで見つかった土器が弥生式土器になり、やがて出土した時代の名前が弥生時代になる・・・って考えると壮大ですね。

文京区根津1丁目の新坂です。東大弥生キャンパスと根津神社の間にあります。

文京区春日1・2丁目にあるのが安藤坂です。伝通院から神田川まで伸びています。