休みの日には体を動かさないと、と思いまして自宅から1時間くらい歩いて阪急箕面駅まで行ってきました。久しぶりに行ってみると駅前のビルが一棟更地になっていて驚きました。
自宅からここまで歩いて、既に疲れていたのですが、折角なので有名な箕面の滝道を少しだけ散策しました。滝道の入り口には下記のような立派な標識が立っています。脇のベンチには箕面市のゆるキャラである滝ノ道ゆずるの石像が座っています。そこから更に上がると立派なお寺(瀧安寺)が見えてきました。ここも今回はスルーで。すいません。
休みの日には体を動かさないと、と思いまして自宅から1時間くらい歩いて阪急箕面駅まで行ってきました。久しぶりに行ってみると駅前のビルが一棟更地になっていて驚きました。
自宅からここまで歩いて、既に疲れていたのですが、折角なので有名な箕面の滝道を少しだけ散策しました。滝道の入り口には下記のような立派な標識が立っています。脇のベンチには箕面市のゆるキャラである滝ノ道ゆずるの石像が座っています。そこから更に上がると立派なお寺(瀧安寺)が見えてきました。ここも今回はスルーで。すいません。
今日は、先日に引き続き西国街道沿いを萱野から桜井まで散歩しました。まずは新御堂筋(国道423号線)の萱野交差点から出発です。
連休の中日ということで、3時間走で体を虐めてきました。平日は仕事で方々から虐められ、休日は自分自身を虐めています。いつか解放される日を夢見ております。
折角、長時間走るので、西国街道沿いをダラダラを走りました。下記の写真は茨木市にある郡山陣屋址だそうです。立札によると、京都と西宮を結ぶ西国街道には山﨑、芥川、郡山、瀬川、昆陽(こや)の5つの宿駅があり、郡山はその中心として重要な役割を果たしたのだそうです。この本陣は、1718年(享保三年)に火事の類焼で焼けてしまったそうですが、1721年(享保六年)に西国諸大名の寄付により再建されたものだそうで、現存する建物はこれだけだそうです。かつては摂津、備前、備中、美作などの諸大名や、忠臣蔵で有名な赤穂城主の浅野内匠頭などが宿泊し、1865年(慶応元年)には明治天皇がお立ち寄りになったそうです。本陣の正門の脇には椿の大樹があることから「椿の本陣」と呼ばれていたのだそうですが、残念ながら現在は拝観できないようになっていました。
阪大吹田キャンパスから国道171号線(通称:イナイチ)に出て、道路の南側を茨木市の方向に歩いていると、不二家と交番を越えた辺りに「ぼろ塚」なる塚に遭遇します。
国道には下の写真のような小さな案内板が出ています。この案内板に従って、川沿いの板金工場の側道を70メートルくらい行くと二枚目の写真のような小さな石の塚と茨木市が出した解説板?が見えてきます。何とこの塚、吉田兼好の徒然草・第百十五段に出てくる、2人のぼろ(虚無僧のこと?)が果し合いをした跡に建てられたのだそうです。第百十五段の内容は、次の通りです。(原文は下にあります)
『いろをし、という名前の虚無僧が、その昔に、しら梵字(しらぼじ)という名の虚無僧の御師匠を東国で殺したので、しら梵字が師匠の仇を打つために宿河原でいろをしを探し当てる。いろをしはその仇討ちに応じて河原にて二人で戦い、共倒れに終わる。その話を兼好が聞きつけて、二人ともに命を投げ出すさまが潔いと聞いたままに書き留めた。』
教科書にも載るような歴史的作品の舞台がここなのかと感心していると、解説板の最後には「宿河原の場所は神奈川県川崎市との説もあります」という文字が。家に帰り、早速手持ちの岩波文庫、新訂徒然草(吉田兼好著、西尾実・安良岡康作校注)をみると、確かに宿河原の注釈に現在の神奈川県川崎市と書かれていました。だとすると、この塚は一体何なのでしょうか?後世、このようなことで困らぬように、吉田兼好には「武蔵の国の宿河原」とか「摂津の国の宿河原」のように、もう少し詳しく書いておいて欲しかったです。
第百十五段
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨さまたげに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出いであひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。
ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我が執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。
やっと涼しくなった、というか日中の気温が我慢できる範囲内に収まってきたので、昼間でもジョギングが出来るようになりました。今日は北大阪急行線の新しい終点である、箕面船場阪大前駅まで足を伸ばしました。この駅が開業したのは今年の3月23日だそうですが、私の最寄り駅は千里中央駅なので今まで行ったことが無かったです。
ふと地面を見るとマンホールが大阪万博(EXPO2025)のミャクミャクで驚きました。万博が終わったら取り換えるのでしょうか。
改札口の写真です。昼間なのに誰も居なくて写真が撮れたのですが、ちょっと心配。9月に入り、多少は気温が下がってきたので昼間にジョギングが出来るようになってきました。大阪大学吹田キャンパス周辺では旧西国街道の辺りが旧家や歴史的な建物が多くて好きです。下記の春日神社は一見新しそうに見えますが、奥の御社は神護景雲年間(西暦767~770年)から鎮座しているそうです。またその下の写真は春日神社の向かい側を写したものです。写真の中央にある、京都伏見への方向を示す道標は享和年間(1802年)に設置され、奥にある建物にはどうやら井戸があるようで、その井戸は何と楠木正成公が水を飲まれたとのことです。たったこの一角だけでも千年以上の歴史が詰まっているなんて、ロマンを感じてしまいます。
久しぶりに仕事で万博記念公園に行きまして、太陽の塔を見ました。前の万国博覧会(Expo'70)が催されたのが1970年ですので、塔が作られてから既に五十年以上経っております。しかしその立ち姿は今も堂々としていますね。大阪大学(および京都大学)の学生や教職員は、万博記念公園の中にある国立民族学博物館への入場料が無料になるので助かっております。
この5年間、完全なペーパードライバーだったのですが、運転免許証の更新時期が来たので大阪府門真市の運転免許試験場に行ってきました。モノレールの門真市駅から徒歩で行ったのですが、思ったより時間がかかってしまい予約時間に間に合わないのではないかと焦りました。ホームページのアクセスで見た印象よりも実際は遠かったです。東京に住んでいた時に府中市の運転免許試験場で免許を更新したことがあったのですが、その時もアクセスが悪くて不便に感じたことを思い出しました。
あとで戻ってきてネットを見ていたら、各地の運転免許試験場はどうしてアクセスが悪いのか、という記事が出ていました。みんな同じことを感じていたのですね。
試験場に着いた後は、ひたすら流れ作業にのって、あれよあれよと言う間に新しい免許証をいただきました。次の5年間もゴールドのままで行きたいものです。