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2025年6月1日日曜日

箕面の滝道をぶらぶら

休みの日には体を動かさないと、と思いまして自宅から1時間くらい歩いて阪急箕面駅まで行ってきました。久しぶりに行ってみると駅前のビルが一棟更地になっていて驚きました。

自宅からここまで歩いて、既に疲れていたのですが、折角なので有名な箕面の滝道を少しだけ散策しました。滝道の入り口には下記のような立派な標識が立っています。脇のベンチには箕面市のゆるキャラである滝ノ道ゆずるの石像が座っています。

少し行くと、萱野邸の方を示す歴史のありそうな道標が立っていました。滝道のついでにお寄り下さいといった感じでしょうか。(萱野邸については、こちらをご覧ください。)


今日は天気が良く、新緑の季節と相まって滝道は沢山の人達でにぎわっていました。思い付きできたのが勿体ない感じです。


滝道の脇の箕面川も穏やかで、沢蟹や小魚が見えました。川底に赤い石が目立つのは鉄分の影響でしょうか。サンショウウオが見えることもあるそうですが、見つけられませんでした。

箕面市と言えば、日本財団の笹川氏のおひざ元ですが、笹川良一氏が母を背負っている像が立っておりました。昔、東京のお台場に船の博物館という財団が経営する博物館があったのですが、確かそこで見た絵画と同じ構図でした。


入り口から900メートルの所に箕面公園昆虫館がありました。放蝶園なる、沢山の蝶を放った施設があるようです。既に汗だくだったので、今回はスルーしました。すいません。


そこから更に上がると立派なお寺(瀧安寺)が見えてきました。ここも今回はスルーで。すいません。


入口から1.5キロ地点に、野口英世の像がありました。しかし像は滝道から結構登らなければならず、人通りは途切れ、さらに「マムシに注意」の看板を見てひるんでしまいました。そこで下の看板の写真だけ撮って引き返しました。茨城のド田舎で育った経験から、マムシがいない訳ないですからね。ウォーキング用の軽装備で噛まれたら大変です。


ここから折り返して箕面駅まで戻り、更にてくてく歩いて自宅まで戻りました。今日のウォーキングは歩数にして2万3千歩。マラソンに向けた足づくりとしてはまずまずの距離でした。

2025年5月25日日曜日

西国街道沿いをぶらぶら(箕面市萱野~桜井)

今日は、先日に引き続き西国街道沿いを萱野から桜井まで散歩しました。まずは新御堂筋(国道423号線)の萱野交差点から出発です。


ここから西に少し歩くと、忠臣蔵の登場人物で知られる、萱野三平邸跡があります。萱野三平は当地に生まれた人物で、赤穂藩に仕えますが、周囲への迷惑を考えて赤穂浪士の討ち入りには加わらず、代わりに主君の月命日に切腹した人物です。その生家が大阪府の指定史跡として残っています。この辺りは国道171号線からやや離れており、閑静で趣のある邸宅が並んでいます。萱野邸は無料で見学できます。萱野三平は俳人としても有名だそうで、作品が幾つも飾られています。



昔はこの辺りが目抜き通りだったようで、萱野邸の近くに高札跡もありました。

萱野邸から更に西に進むと、これまで西国街道が国道171号線の南側に位置していたのですが、171号線を縦断して、北側に位置するようになります。さらに進むと牧落の高札場跡が見えてきました。この場所は箕面・大坂道と西国街道の交差点だそうで道しるべが未だ残っていました。石に刻み込まれた方向を指示する手の形がとても趣があります。

さらに阪急箕面線の桜井駅を過ぎて暫く行くと、本日の目的地である「瀬川・半町駅跡地」です。しかし現在では自動車教習所の脇に下記の看板があるだけでした。瀬川はかつて後醍醐天皇の軍勢が六波羅探題軍を打ち破った場所として知られています。西国街道のこの辺りは太平記に出てくる地名が多いです。
今日はコーラでエネルギーを補給しながら半日のんびり散歩ができました。



2025年2月23日日曜日

西国街道沿いをたっぷりジョギングしました

連休の中日ということで、3時間走で体を虐めてきました。平日は仕事で方々から虐められ、休日は自分自身を虐めています。いつか解放される日を夢見ております。

折角、長時間走るので、西国街道沿いをダラダラを走りました。下記の写真は茨木市にある郡山陣屋址だそうです。立札によると、京都と西宮を結ぶ西国街道には山﨑、芥川、郡山、瀬川、昆陽(こや)の5つの宿駅があり、郡山はその中心として重要な役割を果たしたのだそうです。この本陣は、1718年(享保三年)に火事の類焼で焼けてしまったそうですが、1721年(享保六年)に西国諸大名の寄付により再建されたものだそうで、現存する建物はこれだけだそうです。かつては摂津、備前、備中、美作などの諸大名や、忠臣蔵で有名な赤穂城主の浅野内匠頭などが宿泊し、1865年(慶応元年)には明治天皇がお立ち寄りになったそうです。本陣の正門の脇には椿の大樹があることから「椿の本陣」と呼ばれていたのだそうですが、残念ながら現在は拝観できないようになっていました。



さらにヨチヨチ走りで足を進めると、南北に伸びる旧亀岡街道と、東西に伸びる西国街道が交わる交差点にでました。この場所は、中川原町と呼ばれ、茨木城主だった中川清秀の出生地だそうです。ここまで来た時点で大分疲れていたのですが、さらに東に1.5キロ進むと継体天皇陵があるということで、そこまで頑張ることにしました。


途中、場所がわからず苦労しましたが、何とか継体天皇陵(太田茶臼山古墳)までたどり着きました。残念ながらというか、予想通り宮内庁の管轄なので中には入れず、遠くからお写真だけを撮らせていただきました。誰の墓なのかは諸説ありそうなことが教育委員会の掲示板に書かれていました。こういう発掘許可というのは中々下り無さそうなので、謎の解明には時間がかかりそうですね。


何とかここから折り返して、元の道を戻り、かつて楠木正成公が使われたという井戸のところまでたどり着きました。この時点で2時間以上走っていたので、息も絶え絶えです。

そして、達磨で有名な勝尾寺の表参道入り口の鳥居まで戻り、歩いているのか走っているのかわからないペースで帰路につきました。

来月にフルマラソンを控えているので、良い練習になりました。






2024年9月24日火曜日

徒然草・第百十五段に出てくる、ぼろ塚?(大阪府茨木市、宿河原)

阪大吹田キャンパスから国道171号線(通称:イナイチ)に出て、道路の南側を茨木市の方向に歩いていると、不二家と交番を越えた辺りに「ぼろ塚」なる塚に遭遇します。

国道には下の写真のような小さな案内板が出ています。この案内板に従って、川沿いの板金工場の側道を70メートルくらい行くと二枚目の写真のような小さな石の塚と茨木市が出した解説板?が見えてきます。何とこの塚、吉田兼好の徒然草・第百十五段に出てくる、2人のぼろ(虚無僧のこと?)が果し合いをした跡に建てられたのだそうです。第百十五段の内容は、次の通りです。(原文は下にあります)

『いろをし、という名前の虚無僧が、その昔に、しら梵字(しらぼじ)という名の虚無僧の御師匠を東国で殺したので、しら梵字が師匠の仇を打つために宿河原でいろをしを探し当てる。いろをしはその仇討ちに応じて河原にて二人で戦い、共倒れに終わる。その話を兼好が聞きつけて、二人ともに命を投げ出すさまが潔いと聞いたままに書き留めた。』

教科書にも載るような歴史的作品の舞台がここなのかと感心していると、解説板の最後には「宿河原の場所は神奈川県川崎市との説もあります」という文字が。家に帰り、早速手持ちの岩波文庫、新訂徒然草(吉田兼好著、西尾実・安良岡康作校注)をみると、確かに宿河原の注釈に現在の神奈川県川崎市と書かれていました。だとすると、この塚は一体何なのでしょうか?後世、このようなことで困らぬように、吉田兼好には「武蔵の国の宿河原」とか「摂津の国の宿河原」のように、もう少し詳しく書いておいて欲しかったです。




第百十五段

宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨さまたげに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出いであひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。

ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我が執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。

2024年9月15日日曜日

北大阪急行線の新しい駅(箕面船場阪大前駅)

やっと涼しくなった、というか日中の気温が我慢できる範囲内に収まってきたので、昼間でもジョギングが出来るようになりました。今日は北大阪急行線の新しい終点である、箕面船場阪大前駅まで足を伸ばしました。この駅が開業したのは今年の3月23日だそうですが、私の最寄り駅は千里中央駅なので今まで行ったことが無かったです。 

ふと地面を見るとマンホールが大阪万博(EXPO2025)のミャクミャクで驚きました。万博が終わったら取り換えるのでしょうか。

改札口の写真です。昼間なのに誰も居なくて写真が撮れたのですが、ちょっと心配。

駅の名前にもなっている、大阪大学箕面キャンパスの建物の写真です。外国語学部が入っています。かつては箕面市の山奥にキャンパスがありましたが、4年くらい前に現在の場所に移ってきたそうです。以前の箕面キャンパスにも一度だけ行ったことがありますが、急斜面の土地に建物を階段状に配置していて自転車でキャンパス内を移動するのが怖かった記憶があります。現在は、写真のように綺麗な高層の建物になり、場所も駅の近くで、学生さんには便利になったのではないかと思います。さらに箕面キャンパスは、吹田キャンパスと豊中キャンパスの中間に位置しているので、学内バスでのアクセスも良くなりました。



2024年9月8日日曜日

西国街道沿いの神社(箕面市小野原)

 9月に入り、多少は気温が下がってきたので昼間にジョギングが出来るようになってきました。大阪大学吹田キャンパス周辺では旧西国街道の辺りが旧家や歴史的な建物が多くて好きです。下記の春日神社は一見新しそうに見えますが、奥の御社は神護景雲年間(西暦767~770年)から鎮座しているそうです。またその下の写真は春日神社の向かい側を写したものです。写真の中央にある、京都伏見への方向を示す道標は享和年間(1802年)に設置され、奥にある建物にはどうやら井戸があるようで、その井戸は何と楠木正成公が水を飲まれたとのことです。たったこの一角だけでも千年以上の歴史が詰まっているなんて、ロマンを感じてしまいます。


2024年9月7日土曜日

久しぶりに太陽の塔をみました(万博記念公園、大阪府吹田市)

 久しぶりに仕事で万博記念公園に行きまして、太陽の塔を見ました。前の万国博覧会(Expo'70)が催されたのが1970年ですので、塔が作られてから既に五十年以上経っております。しかしその立ち姿は今も堂々としていますね。大阪大学(および京都大学)の学生や教職員は、万博記念公園の中にある国立民族学博物館への入場料が無料になるので助かっております。




2024年8月18日日曜日

運転免許証の更新に行ってきました(大阪府門真市)

この5年間、完全なペーパードライバーだったのですが、運転免許証の更新時期が来たので大阪府門真市の運転免許試験場に行ってきました。モノレールの門真市駅から徒歩で行ったのですが、思ったより時間がかかってしまい予約時間に間に合わないのではないかと焦りました。ホームページのアクセスで見た印象よりも実際は遠かったです。東京に住んでいた時に府中市の運転免許試験場で免許を更新したことがあったのですが、その時もアクセスが悪くて不便に感じたことを思い出しました。

あとで戻ってきてネットを見ていたら、各地の運転免許試験場はどうしてアクセスが悪いのか、という記事が出ていました。みんな同じことを感じていたのですね。

試験場に着いた後は、ひたすら流れ作業にのって、あれよあれよと言う間に新しい免許証をいただきました。次の5年間もゴールドのままで行きたいものです。





2019年10月20日日曜日

成増のダイエーが閉店してしまう(東京都板橋区成増)

私の住んでいる東京都板橋区成増の東武東上線成増駅南口にはスキップ村商店街があり、生活するには大変便利なところです。ご飯を食べるのにも吉野家、松屋、すき家、天屋、日高屋、かつやなど、安くてボリューム満点のチェーン店が所狭しと並んでおり、それ以外にも成増発祥のモスバーガー(1号店!)、マクドナルド、ドトール、スターバックスなどのファストフード店やカフェも充実しています。さらに昔からあるような定食屋や飲み屋も沢山あります。そのスキップ村の端にはダイエー成増店が鎮座していて、さながらダイエーの城下町のような雰囲気がありました。しかしそのダイエーが今年の12月中旬に閉店してしまうそうです。中には貧乏人のオアシス、百均のダイソーもあり、重宝していたので大変残念です。アコレとかマルエツなどの食品スーパーは確かに近くにあるのですが、食料品から衣料品や雑貨、自転車まで売っているダイエーの存在感は抜群でした。う~ん、残念です。

残り短い間ですが、よろしくお願いします。

今日は非常に蒸し暑く、光ヶ丘公園ではセミが鳴いている一角がありました。きっと間違えて何匹が出てきてしまったのでしょう。鈴虫やコオロギなどの鳴き声に混じって、変な感じがしました。

2019年7月20日土曜日

運転免許の書き換え

先日、運転免許証の書き換えで武蔵小金井にある府中運転免許試験場に行ってきました。私の住む成増からだと、成増→池袋→新宿→武蔵小金井の二回乗り換えで合計小一時間くらいで行けます。ただ、成増から見ると鉄道はいつも東西方向にしか走っておらず、南北に移動するには一度東に移動して都心に出て、そこから路線を変えて西に行く必要があります。


何となくこれが無駄な感じがしたので、帰りは荻窪でおりて、10キロ歩いて成増まで帰りました。歩く時間が無駄か、たかだか300円の運賃が無駄かは議論の分かれるところですが、お金ないんでね。
途中、光ヶ丘公園の近くで撮ったお化けアロエの写真です。ここを通るとき一際目を引くので、いつも気になっています。なんか昔の東映の特撮映画に出てきそうです。葉っぱが伸びてきて人を捕まえて食べちゃいそうです。これをヨーグルトに入れたら何人前だろうとか、妄想が膨らみます。

そんなくだらないことを考えながら二時間近く歩いて、わずか300円を浮かしました。疲れました。

2019年5月4日土曜日

最近フィーチャーされている埼玉県和光市(その弐)

連休後半、時間があれど金はなしということで隣町の和光市を徒歩で観光してきました。まずは川越街道を西に向かって白子川を越えると、笹目通りにかかる陸橋でコバトンがお出迎え。

陸橋を越えると大きな埼玉病院が目に入ってきます。国立病院だけあって敷地が凄く広いです。
埼玉病院を過ぎると和光市立第四小学校の校庭にあるSL機関車(C1285)が見えてきます。昭和44年(1969年)に当時の国鉄から無償で供与された本物の車両だそうです。もう50年くらい経過しているのに維持管理もきちんとされていて、しかも改元に合わせて新元号記念令和号となっているのがいいですね。
SLのお次は在日アメリカ軍のアンテナ基地です。遠くに見える大きな建物が理化学研究所の脳科学研究センターです。アンテナ基地のおかげで理化学研究所の敷地は「く」の字形になっています。
和光市は官の施設が多く、司法研修所(すぐ下)や税務大学校(その下)などの巨大な施設が目白押しです。都会からのアクセスも良く、用地の取得も容易だったのでしょうね。司法研修所は、私が理化学研究所で働いていた2016年頃に出来た比較的新しい施設です。税務大学校には租税資料館があって色々展示物があるのですが、私が行った時には平日の昼だったせいか他に誰も拝観者がおらず自分で部屋の電気をつけた思い出があります。

税務大学校を過ぎて、東京外環自動車道を渡ると和光樹林公園が左手に見えてきます。とても広い公園で、ジョギングコースも1キロと2キロの周回ルートがあります。理研でデスクワークに息詰まった時などは昼休みにサンダル履きでグルグル回っていました。
樹林公園を過ぎると両脇は集合住宅が並んでいて、それを抜けると和光市役所とサンアゼリアホールがあります。写真は手前が市役所の渡り廊下で奥がホールです。

久しぶりに和光市駅に行ったら全面改築中でブルーシートに覆われていました。2020年ころまでかけて全面的に建て替えるそうです。完成すると下の絵のようになるそうですよ。

和光市駅は東京メトロ副都心線、有楽町線の始発駅ということで駅の近くに車両基地があります。鉄道好きにはたまりませんね。
和光市駅の北側は住宅地なのであまりスポットを知らなかったのですが、先日の東京メトロのコマーシャルで女優の石原さとみさんが訪れていた新倉ふるさと民家園に立ち寄りました。ちょっと聖地巡礼です。ガイドの方の話では、江戸時代中期の農家を保存しているそうです。
子供の日が近いので、兜や五月人形などが飾られていました。五月人形でお馴染みの鐘馗さまですが、今回初めて由来を知りました。鐘馗さまは、中国の唐の時代に玄宗皇帝がマラリヤに苦しんでいるときに夢の中に現れて、自分は科挙に落ちて自死してしまったが皇帝が手厚く葬ってくれたことに感謝してやってきたと告げ、皇帝の病気を治したそうです。役人志望だったのですね、勝手に武将だと思っていました。
あとは、氷川八幡神社の脇を抜けて、東武東上線の線路わきを歩いて成増へ。全行程、休憩込みで3時間。途中道に迷って1万4千歩の旅でした。