松本清張短編全集第1巻の冒頭に掲載されている「西郷札」は松本清張のデビュー作の短編作品です。私は、この短編に後々の松本清張作品の鋳型を見るような気がして、度々読んでいます。
この作品は、九州の新聞社に勤める「私」が、新聞社が主催する「九州二千年文化史展」というイベントに出品する銘品を九州一円から取り寄せる所から始まります。その中で、宮崎支局から西郷札とその覚書が送られてきます。社の誰も西郷札がわからず、百科事典を引いたところ、西郷札は西南戦争の時に西郷軍が戦争中の物品調達のために発行した紙幣で、戦地を点々としながら地域の豪農などに紙幣を押し付けて食糧を確保した、と言うことが判明します。主人公は西郷札と同封されていた覚書に目を通すのですが、その内容に驚愕します。
覚書の作者は樋村雄吾という明治時代を生きた日向佐土原士族で、島津家の支藩の藩士の息子として生まれます。しかし廃藩置県により父が失業したため、一家は農業を生業として生計を建てます。雄吾が11歳の時に生母が亡くなり、15歳の時に父が若い後添えをもらいます。その義母には季乃(すえの)という5歳年下の連れ子がいました。季乃は眉目秀麗な娘で、雄吾は義理の妹ながら心惹かれてしまい、複雑な感情を抱きます。
その後、雄吾は西南戦争に西郷軍の一員として従軍し、勇猛果敢に戦い、藩札(西郷札)の製造にも関わります。しかし右肩を狙撃され、隊を離脱し、地元の素封家、伊東甚平に助けられ、九死に一生を得て生家に戻るのですが、父は既に病気で亡くなり、生家も西南戦争で焼失し、義母や季乃は行方不明になったことが判明します。
雄吾は失意のうちに東京に出て、ふとしたきっかけから人力車の車夫として働きだします。ある時、客として塚村圭太郎という政府の役人を乗せたことで人生が動き出します。何と季乃は塚村の妻となっていたのです。季乃の語るところによれば、西南戦争の折に父が亡くなり、母と共に東京の親戚を頼って上京し、塚村に見初められて嫁いできたとのことでした。季乃は雄吾と兄妹として逢瀬を重ねますが、雄吾は心の奥底に季乃に対する恋愛感情が芽生えてしまい懊悩します。その様子を塚村に見透かされ、塚村は嫉妬の炎に狂い密かに二人の逢瀬を監視します。
そんな折、幡生粂太郎(はたぶ・くめたろう)という人物から塚村を通して西郷札を政府が買い上げてもらうように働きかけを依頼されます。これは、かつて三菱財閥の祖である岩崎弥太郎の藩札買い占めの再現を狙って大儲けを企んだものでした。雄吾は季乃に対する負い目から気乗りはしないものの、結局は塚村に依頼します。塚村は快諾し、雄吾と粂太郎に極秘裏に宮﨑で藩札の買い占めを勧めます。二人は宮崎に移動し、素封家の伊東甚平も巻き込んで買い占めを図るのですが、どこからか情報が漏れたらしく、全財産を投じても思うように西郷札が集まりません。一旦、雄吾が東京に戻ると、政府による西郷札の買い占めは行われず、それどころか雄吾が風説の流布により警察に追われていることが判明します。あまりの事に動揺する雄吾。その後、季乃と合ったことで全てが判明します。塚村は雄吾に強い嫉妬を感じており、偽の買い上げ情報を伝えることで雄吾を犯罪者に仕立て上げたのです。雄吾は逃げるか、裁判に訴えるか、あるいは最後の手段か、という3つの選択肢を考えます。熟考の挙句、やはり最後の手段しかないと結論付けたところで、以降の覚書が破られており、物語が終わります。
私が考える、この作品にみられる後の清張作品の原点としては、まずタクシー好きが挙げられます。タクシーは清張作品の重要なアイテムだと思うのですが、明治時代のタクシーである俥(くるま)、人力車を登場させている点が「らしい」と感じます。運転手と乗客という見知らぬ者同士が、偶然時間を共有する、そういう場面が好きなんですね。
さらに、ミステリーにもかかわらず、敢えて最後のところ(=殺し)を書かない、という点もらしさを感じます。結局、雄吾はその後、塚村を殺して季乃と逃げたのではないかと推量されますが、それは一切が読者の想像に任されます。私の好きな「鉢植えを買う女」という清張作品でも、どう考えても主人公が会社の同僚を殺しているのですが、直接の描写はありません。奥ゆかしいのか、書かないことで、よりリアルさを感じさせているのか、兎に角のちの作品に頻出のパターンだと思います。
あとは、文献を引用する構図を多用する、という点が挙げられるでしょうか。この作品も西郷札に付いていた覚書を主人公が読んで解説する形で物語が展開します。先日勝手に紹介した「装飾評伝」も同じパターンに該当します。
私のような清張好きにはたまらない作品です。