同じ作品でも時代を経ると受け手の印象は変わるものだと思いますが、松本清張の短編小説「腹中の敵」を最近読み返して、改めて昭和と今では感覚がまるで違うと思いました。
この小説の主人公は、織田信長の家臣だった丹羽長秀です。丹羽家は旧くは斯波氏に遣えた名門の出で、織田家臣団の中でも家格が高く、長秀も実力・地位で柴田勝家と双璧をなします。一方、木下藤吉郎(豊臣秀吉)は織田家臣団の最下層から身を起こし、次々と手柄を立てることで物凄い勢いで出世の階段を駆け上がります。そんな藤吉郎を柴田勝家や滝川一益といった他の家臣団のメンバーは良く思わないのですが、長秀だけは寛容な気持ちで受容し、藤吉郎も長秀に敬意を払います。やがて織田軍団の勢力は全国統一に向けて戦線を拡大していきます。そんな最中に信長が本能寺で明智光秀に突然討たれます。藤吉郎は中国地方に遠征していましたが、有名な中国大返しで近畿に戻り光秀を討ちますが、長秀も藤吉郎の軍勢に加わり戦を助けます。その後の信長の後継者を決める清州評定でも長秀は藤吉郎を支持し、実質後継者になることを了承します。こうして常に長秀は藤吉郎をサポートしますが、内心は自分の方が名門の出で先輩であるという自尊心と、後輩の期待に応えたいという見栄の間で葛藤します。最後は積聚(しゃくじゅ)という不治の病で命が長くないことを悟り、自ら腹を割くのですが、腹の中から血まみれの異形な尖り曲がった一物(寄生虫?がん?)が出てきます。長秀はそれを秀吉に見立てて思う存分切り裂いて命が果てて物語が終了します。
小説のメッセージは要するに、勢いのある後輩に追い抜かれてその部下になるのが嫌だった、ということだと感じたのですが、そこにとても昭和を感じてしまいました。昨今のご時世では、この小説が前提としている終身雇用・年功序列という夢のようなシステムは完全に崩壊し、頼りになるはずの大組織も簡単に崩壊する世の中になっております。そのような状況では、小説で描かれている長秀の「伸びそうな後輩に早くから目をかけておいて、後々そいつの引きで安泰に暮らす」というスタイルは大成功と言える気がします。
私から見ると、一世代上の人達が持ち家・自家用車・4人家族を当たり前のように手にしながら、人生の不満を言っているシーンを目の当たりにするような羨望と嫌悪を感じてしまいました。