2025年2月23日日曜日

西国街道沿いをたっぷりジョギングしました

連休の中日ということで、3時間走で体を虐めてきました。平日は仕事で方々から虐められ、休日は自分自身を虐めています。いつか解放される日を夢見ております。

折角、長時間走るので、西国街道沿いをダラダラを走りました。下記の写真は茨木市にある郡山陣屋址だそうです。立札によると、京都と西宮を結ぶ西国街道には山﨑、芥川、郡山、瀬川、昆陽(こや)の5つの宿駅があり、郡山はその中心として重要な役割を果たしたのだそうです。この本陣は、1718年(享保三年)に火事の類焼で焼けてしまったそうですが、1721年(享保六年)に西国諸大名の寄付により再建されたものだそうで、現存する建物はこれだけだそうです。かつては摂津、備前、備中、美作などの諸大名や、忠臣蔵で有名な赤穂城主の浅野内匠頭などが宿泊し、1865年(慶応元年)には明治天皇がお立ち寄りになったそうです。本陣の正門の脇には椿の大樹があることから「椿の本陣」と呼ばれていたのだそうですが、残念ながら現在は拝観できないようになっていました。



さらにヨチヨチ走りで足を進めると、南北に伸びる旧亀岡街道と、東西に伸びる西国街道が交わる交差点にでました。この場所は、中川原町と呼ばれ、茨木城主だった中川清秀の出生地だそうです。ここまで来た時点で大分疲れていたのですが、さらに東に1.5キロ進むと継体天皇陵があるということで、そこまで頑張ることにしました。


途中、場所がわからず苦労しましたが、何とか継体天皇陵(太田茶臼山古墳)までたどり着きました。残念ながらというか、予想通り宮内庁の管轄なので中には入れず、遠くからお写真だけを撮らせていただきました。誰の墓なのかは諸説ありそうなことが教育委員会の掲示板に書かれていました。こういう発掘許可というのは中々下り無さそうなので、謎の解明には時間がかかりそうですね。


何とかここから折り返して、元の道を戻り、かつて楠木正成公が使われたという井戸のところまでたどり着きました。この時点で2時間以上走っていたので、息も絶え絶えです。

そして、達磨で有名な勝尾寺の表参道入り口の鳥居まで戻り、歩いているのか走っているのかわからないペースで帰路につきました。

来月にフルマラソンを控えているので、良い練習になりました。