出張で新大阪と博多駅を往復する機会があったので、新幹線の車内で司馬遼太郎著、講談社文庫「新装版 王城の護衛者」を改めて読み返しました。行きと返りでちょうど読み終えることができて、良いリフレッシュになりました。
この本は、司馬遼太郎氏の短編集で、表題作である「王城の護衛者」の他、「加茂の水」、「鬼謀の人」、「英雄児」、「人斬り以蔵」、の5つの短編作品が収蔵されています。これらの短編は、いずれも幕末の一場面で歴史の表舞台を彩った人物に焦点を当てています。
「王城の護衛者」の主人公は、会津藩主の松平容保公です。会津藩の藩祖・保科正之は、二代将軍・徳川秀忠が側室に産ませた庶子でありながら、初代会津藩主として陰ながら徳川宗家を良く補弼し、宗家を守る使命を家訓として会津藩に代々受け継がせます。容保公は実直な性格で、その家訓を守ることを天命としますが、幕末という時代の激流に翻弄され、京都守護職に抜擢されてからも、時節の流れに懊悩します。その中で孝明天皇に心酔し、容保公の中に王を守ることが新たな使命として芽生えます。帝も容保公に心を開き、二人の絆は深いものに思われました。しかし、孝明天皇は崩御し、容保自身も長州や薩摩の巧みな政略によって賊軍の汚名を着せられ、失意のうちに表舞台から姿を消すことになってしまいます。表舞台から退場させられた後の容保公は、孝明天皇からいただいた直筆の勅諚を死ぬまで肌身離さず持ち歩いたそうです。そして怨念の籠る遺品は現在も銀行の貸金庫に眠っていると締めくくられて物語が閉じられます。容保公は、一切の政略を用いず「策ではなく至誠こそが最後に勝つ」という信念で、変化に抗いました。しかしその翻弄され、苦悩する姿は、令和の恐ろしい世の中を生きている身にも迫るものがありました。
「加茂の水」は、玉松操(たままつ・みさお)という下級公卿の老人が主人公です。玉松は博覧強記で筆も立つのですが、変わり者として知られ、琵琶湖のほとりで隠遁生活を送っていました。それが蟄居していたときの岩倉具視に見いだされ、以後岩倉のブレーンとして権謀術数の限りをつくし、彼を支え時代を動かします。特に、幕末の鳥羽伏見の戦いで戦況を一変させた秘密兵器、「錦の御旗」は彼のアイディアとのことです。維新後は官に取り立てられるも欧化主義に憤慨し、官位をなげうち、市井に没します。優れた能力がありながら不遇の時を過ごすも、一瞬の強烈な光を放つさまは、この短編集の主人公に相応しい人物と思います。
「鬼謀の人」は、村田蔵六、のちの大村益次郎が主人公です。司馬遼太郎氏の長編作品に「花神」という作品があるのですが、それをダイジェストにしたような作品です。長州藩の村医の子であった村田蔵六は、学問で身を立て、大坂の適塾で頭角を現し、幕府や伊予国宇和島藩をはじめ、様々な藩から高く評価されるものの、自身の藩である長州藩からは足軽という身分のせいで評価されませんでした。それが桂小五郎の推挙などもあり長州藩の軍師となるや、第二次長州征伐や戊辰戦争などで八面六臂の活躍をします。ところが難しい性格から周囲と衝突を起こし、ついには明治二年に凶刃に倒れます。歴史が彼を必要とした瞬間に表舞台に立ち、自らの役目を終えると速やかに退場するさまがこの作品にも見事に描かれています。余談ですが、戊辰戦争の際に上野で彰義隊と戦ったときに佐賀藩のアームストロング砲が戦闘に使用され大活躍するのですが、この部分は「アームストロング砲」という短編が出ています。
「英雄児」は、長岡藩の河井継之助が主人公です。風変わりな人物で、何を考えているのか周囲にも理解されませんが、物事の先を読む傑出した才能を持ち、小藩である長岡藩の重臣に抜擢されるや藩の財政を見事に立て直し、藩の軍備強化に心血を注ぎます。そして戊辰戦争の中、真向を切って官軍と戦います。一時は官軍を追い詰めますが、結局は戦争は敗北に終わり、継之助自身も戦いで受けた傷がもとで亡くなります。この戦いで長岡藩が負ったダメージは大きく、その恨みは亡くなった継之助に向けられ、幾度となく墓が壊されるという描写に心が痛みました。どんな英雄傑物も置き場所を間違えると大変なことになる、との締めくくりが心に沁みました。たしか、継之助の生涯については長編小説「峠」で描かれていたと思うのですが、この長編は未だ読んでいません。
最後の「人斬り以蔵」は、土佐藩士、岡田以蔵とその師である武市半平太が主人公です。以蔵は剣で身を立てることを夢見て、縁戚である武市を師と仰ぎます。武市は郷士の身分ながら人望が厚く、剣の腕が立ち、土佐勤王党を組織し、当時の藩の実権を握っていた吉田東洋を暗殺し、藩での発言権を増していきます。一方の以蔵は、「人斬り以蔵」の異名をもち、剣こそが自己表現と捉え、土佐藩のみならず諸藩の汚れ仕事(暗殺)に奔走します。以蔵は武市に心酔しますが、武市は以蔵を恐れつつも苛烈にあたります。徐々に二人の亀裂が深まり、ついに以蔵は武市から放擲され、失意のうちに京都に逃れます。そんな中、土佐藩は山内容堂が藩の実権を握り、佐幕派の揺り戻しが始まります。武市ら勤王党は捕縛され、拷問により過去の暗殺事件などを詰問されますが、皆命を賭して自白しません。一方の以蔵は些細な事から京都で刃傷沙汰を起こし、捕縛されたのち土佐に連れ戻されます。最後は以蔵が武市への復讐心から自らの罪を自白し、その科により武市は切腹、以蔵は梟首のうえ首を晒されることになります。鬱屈した愛情が憎しみに代わっていくさまが生々しいです。