疲れた時は松本清張の短編ということで、「支払い過ぎた縁談」を読み返しました。この作品は、松本清張短編全集の10巻(光文社文庫)に収納されている作品で、昭和32年(1957年)の間に書かれた短編です。この作品は一切の無駄のない、詐欺事件の要約文のような短編です。
巻末の作者自身の作品評によると、軽い短編として週刊誌に載せたもので、Oヘンリーのような短編の味を狙ったもの、だそうです。Oヘンリーというと英語の授業で習った、「最後の一葉」くらいしか知らないのですが、どちらかと言えば心温まる作品を書いていると思います。この作品は、それよりも松本清張の色が出ていて、無慈悲で現実的な雰囲気が良いです。大人になると変な慰めよりも、こちらの方が心に沁みます。
作品では、資産家親子がプライドの高さに付け込まれてしまい結婚詐欺に遭います。こういう無駄なプライドが色々な隙を生みだす元なのですが、小市民の私にはそういう隙が生じてしまう心の弱さも良くわかります。とても身につまされる作品です。
あらすじ(昭和32年の社会通念と貨幣価値です。目くじら立てないようにお願いします)
萱野家は、とある田舎の地主であり、徳右衛門(とくえもん)はその当主である。徳右衛門には三人の子供がおり、下二人の男児はまだ学校に通っているが、一番上の幸子は26才の独身で家に居る。徳右衛門と幸子の所には、これまで沢山の縁談が持ち込まれたが、親子共にプライドが高く、自分たちのような名家には不釣り合いとの理由で断り続けた。その結果、幸子は婚期を逃してしまい、親子は内心焦っていた。
萱野家には家に代々伝わる貴重な古文書があり、しばしば研究者の訪問を受けることがあった。そんな折、東京のXX大学文学部講師の高森正治と名乗る人物が徳右衛門のもとを訪れる。彼は徳右衛門に古文書を見せてほしいと言い、古文書を撮影したあと、御礼の品として自分が発掘した石器時代の石包丁を徳右衛門に渡す。そして去り際に幸子に婚約があるかを確かめて萱野家を去った。
それからしばらくして、高森の叔父で弁護士の高森剛隆(たかもり・ごうりゅう)という人物が萱野家を訪れる。曰く、甥が先日こちらを訪れた際に、幸子に一目惚れし、是非甥と婚約してほしいと切り出す。徳右衛門、幸子の親子は、将来は大学教授という高森正治の洋々とした前途を思い、この縁談に至極満足する。そののち、幸子と正治の間で心のこもった文通が始まり、正治から金の指輪や小さな金側時計が送られる。
そんな折、萱野家の前に見たことも無いような高級車が故障して止まり、中から細見で長身な桃川恒夫という男が下りてくる。桃川は車を修理して手が汚れたため、手を洗わせてほしいと幸子に願いでる。幸子と徳右衛門は恒夫の美貌と富裕の匂いに動揺し、正治との縁談に迷いが生じる。それから間髪入れずに恒夫の母と名乗る人物が萱野家を訪れ、幸子と恒夫との縁談を切り出す。曰く、桃川家には4,5千万円の財産があり、それらは全て一人息子の恒夫が相続すること、結納金は300万円ほど用意することを告げられる。さらに徳右衛門親子は、恒夫の東京のアパートに招待され、その外国映画のような豪華な暮らしに圧倒される。彼らは正治との縁談を破談にすることを決め、指輪や時計を正治に返却する。
破談を聞きつけた高森剛隆は怒り狂い、萱野家を訪れ、慰謝料80万円を要求する。徳右衛門は、はじめは要求を突っぱねるが、幸子から正治に当てた手紙の数々が桃川家に渡ることを恐れて思案する。彼は、頭の中で桃川家からの結納金300万円があれば80万円差し引いても220万円残ると計算し、所有する山林を売り払って高森の叔父に80万円支払う。
これで障害はなくなったと安堵する萱野親子であったが、不思議なことに桃川家との連絡が途絶えてしまう。不安になった萱野親子は東京の恒夫のアパートを訪れると、既にもぬけの殻で、それは高森正治のアパートも同様であり、自分たちが詐欺にあったと知る。心に沁みる原作の最後の一文がこちら、「石器時代の石包丁は粉々に割られて庭のどこかに捨ててある。しかし、これは4人の詐取者が置いていった唯一の高価な置き物であった。」