チーズはどこへ消えた?(スペンサージョンソン著、門田美鈴訳、扶桑社)
バターはどこへ溶けた?(ディーンリップルウッド著、道出版)
どちらも昔ブックオフの100円コーナーで買った本ですが、久しぶりに読み返してみました。といっても、どちらも100頁も無いので、30分もあれば読み終えました。2冊の本は、共に簡単な寓話を通して人生訓を伝えようとしているのですが、メッセージは対極にあります。
「チーズ~」では、2匹のネズミと2人の小人が登場します。彼らは毎日迷路の中を好物のチーズを探して彷徨っているのですが、ある時に一緒に大量のチーズを見つけます。チーズはネズミにとっては、ただの食料ですが、小人としては自己実現の証でした。小人たちは自分たちの人生が達成されたと思い、迷路の探索を止めて、チーズの傍に安住します。しかし徐々にチーズは減っていき、ついになくなってしまいました。ネズミたちはチーズが無くなると、次のチーズを求めて再び迷路に繰り出しますが、小人たちは大きなショックを受けてしまいます。すっかり落ち着いてしまった彼らは変化を恐れて立ちすくむのです。しかし、やがて自らの足で再び迷路に繰り出して…というのがあらすじです。要するに状況は時々刻々と変わるので、自分たちも進んで変わらないといけませんね、とのことだと思います。
一方、「バター~」では、2匹の狐と2匹の猫が登場します。彼らはそれぞれ森の中で好物のバターを探しています。ある時、狐と猫が一緒に森のペンションで大量のバターをみつけます。バターを見つけて以降、狡猾な狐とは対照的に、猫はものぐさでペンションに住み着いて、日がな一日ゴロゴロしだします。そのうちバターがなくなると、2匹の狐は直ぐに行動を開始して、森へ探索に向かいます。猫のうちの1匹は最初はペンションでゴロゴロしているのですが、徐々に不安になり狐を見習って森へと繰り出します。しかし残る1匹の猫はいつまで経っても泰然自若として動きません。やがて狐たちは新しいバターを見つけるのですが、森へ飛び出した猫は狐に騙されてバターを見つけられません。その猫は這う這うの体でペンションまで戻ると、残った猫は相変わらず伸びたり縮んだりしています。しかし何と人間に飼われたことでバターにありついていました。そのうち狐たちは人間の狩人によって…というのがあらすじです。ありふれた幸せを大事にして、時の流れに身をまかせる、という事なのかと思いました。
何度も転職している下っ端研究者としては、転職のたびに仕事の内容も生活も強制的に変わらざるを得ないので、チーズ型の人生を歩んでいるような気がします(ポジティブに望んではいないけど)。ただ、バター型の肩ひじを張らずにあるがままの人生を生きてきたら今頃どうなっていたのかと遠い目で空想するようなこともあります。しかし残念ながら現実感が無いように感じました。う~ん、難しい。200円で少し人生を考えました。