私が小学校低学年の時分はゲームウォッチという、今のスマホくらいの大きさの白黒画面の携帯ゲーム機が流行しておりました。小さな画面の右と左にボタンが付いていて、キャラクターを動かして適切なタイミングでボタンを押して障害物を避けたり、敵を倒したりする、ごくごく単純なゲームでしたが、スピードが上がると一気に難易度が上昇するので、結構楽しいものでした。当時は、ドンキーコングやマンホールなどのゲームが人気だったと思います。しかし如何せん1台のゲーム機では1種類のゲームしか遊べないので、飽きてしまうと次のゲーム機本体を買う必要があることと、基本的に1画面固定のゲームでグラフィックも棒人間のような簡単なものしかなかったと記憶しています。
そんな状況だった1983年に任天堂が初代ファミリーコンピューター(ファミコン)を発売した時の驚きは今も鮮明に覚えています。当時の任天堂と言えば、花札のメーカーというイメージでした。その会社が綺麗なカラーの画面で、ゲームセンターで遊ぶようなゲームが入ったカセットを次々と発売したので、当時の小学生は飛びつきました。同時期にはエポック社(カセットビジョン、1981年発売)や、セガ(SG-1000、1983年発売)が同じようにカセットを差し替えて遊べるゲーム筐体を出していたのですが、私の界隈では圧倒的にファミコンのシェアが高かったです。私はというと、残念ながら買ってもらえなかったので、友達の家をハシゴして遊んでいました。性根が図々しいので当時は何とも思わなかったのですが、今にして考えると迷惑なガキですね。
初期のカセットとしては、マリオブラザーズやテニスなどを近所の友達の家で皆で遊んだ記憶があります。その後、シューティングゲームの傑作、ゼビウスや、アドベンチャーゲームの名作、ドルアーガの塔などを遊んでいるうちに、次から次へと魅力的なソフトが増えていきました。
そんな中で1985年に発売されたのがドラゴンクエスト(ドラクエ)でした。故・すぎやまこういちさんの素晴らしい音楽、故・鳥山明さんの愛らしくも恰好良いモンスター、堀井雄二さんの細部まで計算されたシナリオ、すべてが別格に感じました。ロールプレイングゲームそのものが珍しかった時代なので、自分の分身が少しずつ強くなり、徐々に強い敵を倒せるようになり、最後には世界を苦しめる竜王を倒して、世界に平和を取り戻す、というストーリーに強い感銘を受けました。同級生の家で最初から最後まで見届けた感動は今も忘れられません。何といっても、自分ではゲームを持っていないだけに、憧憬を持って心に深く刻まれました。
また、ゲームに付随して強く印象に残っているのが、復活の呪文でしょうか。当時のファミコンはセーブ機能がなかったので、ドラクエでは平仮名の復活の呪文というのがあり、その文字の並びによってゲームの状態を記録させていました。ゲームを終えるときには、最初のお城に戻って王様から復活の呪文を聞き、それをプレーヤーは紙にメモし、次に遊ぶときは最初に前回メモした復活の呪文を入力することで、ゲームを再開していました。この復活の呪文というのが、結構長く、1文字でも間違えるとゲームが再開できません。当時のファミコンのグラフィックの画素数とブラウン管テレビの解像度だと、「ぶ」と「ぷ」などの細かい文字を正確に判別するのは難しく、当時は何度もメモのミスもしくは入力ミスで地獄に落ちることがありました。
そんなこじらせた昭和のオジサンは、大人になってからドラクエ1~8+11を延々とやり続け、先日はついついSwitch用のドラゴンクエストIIIを買ってしまいました。もうゲームの内容は隅々まで知っているはずなのに。私の中では、今でもドラクエは一種独特の魔力があります。今度の週末から遊ぶ予定なので今から楽しみです。