白子宿は川越街道(江戸~川越)の宿場町の一つで、中心は和光市白子にあります。現在は東武東上線の成増と和光に挟まれて面影はありませんが、その歴史は古く武州白子熊野神社の立て札によると奈良時代に朝鮮半島からきた渡来人を入植させたことに端を発するそうで、白子(しらこ)は新羅(しらぎ)が変化したものだそうです。また白子川沿いに建てられた和光市の石碑によると、白子宿は1587年(天正15年)に後北条氏が宿場町として整備した、とあります。いずれにしても川越街道が整備されたのは江戸時代になってからで、江戸から川越に至る六つの宿場町(上板橋、下練馬、白子、膝折、大和田、大井)の一つとなりました。
白子宿の中心は、現在の旧道のちょうど県境にある郵便局のある当たりだそうです。『新編武蔵風土記稿』の孫引きによると、江戸時代にはここから東西一里、南北二十五町の範囲に人家百五十軒があったそうです。この付近一帯は当時から富澤家一族が治めていたそうで、郵便局の隣りの薬局も向かいの趣きのあるお屋敷も表札はそうなっております。また和光市白子、板橋区成増、練馬区旭町の辺りには「富澤」という苗字の古いお屋敷が目立ちます。
白子宿は切り立った崖の間を通りますが、崖の下では今も湧き水が出ています。立て札によると江戸時代には旅人の喉を潤した場所だそうです。現在は駐車場の後ろなのでちょっと飲む気にはなりませんが。
湧き水の傍には武州白子熊野神社があります。写真の右側は富士塚です。今日は暑いので遠慮しましたが、以前一度登頂させていただきました。スズメバチがいっぱいいて大変怖かったですが。
隣りの清龍寺不動院には滝行ができる場所があるそうで、なんと乃木将軍が日露戦争の前に打たれに来た、と説明にはありました。
白子川を渡って少し成増側へ行くと八坂神社があります。成増に住んで、もう7年経ちますが以前は見すぼらしい感じでしたが、この数年でお社がきれいになりました。寺社仏閣好きとしては嬉しい限りです。
白子川の周辺には縄文時代から人が住み着いて、川越街道を挟んで八坂神社の向かい側にある成増1丁目北児童遊園(下の左の写真)には成増1丁目遺跡があります。ここから縄文時代の住居跡が見つかったそうです。この場所は高層マンションと保育園に挟まれた小さな細長い公園で、こんな場所に遺跡があるなんで驚きです。