2024年9月5日木曜日

「青のある断層」(松本清張著、光文社文庫)を読んで(清張大好き!)

「青のある断層」(光文社文庫、松本清張短編全集、2巻収蔵)は、松本清張の短編の中で一番好きな作品かもしれません。方々の解説では、この作品は画家がネタに困って素人の絵をパクった話として紹介されることが多いのですが、他の誰も価値を認めなかった素人画家の作品の中に含まれる独特のエスプリを見通した、一流の画商と画家の見る目の確かさ、優れた芸術のセンスが良く表されると思います。私はちょっとだけ音楽をやっていた(中学と高校が吹奏楽部、大学はオーケストラ)のですが、残念ながら音楽のセンスが全然なかったので、センスのある人を見ると羨ましかったです。私から見ると、優れたセンスのある人は私がとても見通せない、確固たる「何か」を実物のような感覚で見ていたように思います。その感じが、この作品に登場する画商と画家とのやり取りでリアリティを持って描かれています。

松本清張の作品、特に短編は油断すると最後の数行で急に登場人物が殺されて白骨になったりするショッキングな作品も多いのですが、この作品は登場人物が最後まで誰も死なないので安心です。


あらすじ(ネタバレ注意):

畑中良夫は山口の萩から東京に出てきた素人画家で、バーの女給をしている妻の津奈子に生活費を稼いでもらって日々好きな絵を描いている。ある時、自分の絵を見てもらおうと銀座の一等地に画廊を構える画商・奥野の下を訪ねる。普段は素人画家はおろか若手の画家も容易には相手にしない奥野だったが、ふとした事から畑中の絵を見ることになる。思った通り畑中の絵は中学生の自由画とのいうべき酷い絵なのだが、そこに「何か」を感じた奥野は絵を買い取る。

奥野には、姉川滝二という長年に渡り公私ともに支え続けた盟友ともいえる画家がいた。今でこそ姉川は画壇も注目する画家であるのだが、生来が寡作で現在も筆が進まず奥伊豆の温泉地、舩原に引きこもって懊悩の日々を送っていた。奥野はそこへ出向いて姉川に畑中の絵を見せる。姉川は畑中の絵に潜む「何か」から強いインスピレーションを受けて自分の作品に取り入れる。

一方の畑中は一流の画商から自分の絵を買い取ってもらえて有頂天になるのだが、周囲の画家仲間は不思議でならない。畑中も徐々に不安になり、他の画家に私淑して絵を学ぶ決心をする。ところが技法を学び自分でも絵が上達したと思った途端、奥野画廊から絵を買い取ってもらえなくなる。

姉川は畑中の絵からインスピレーションを受けて以降、旺盛な創作活動を再開する。彼の傍らには奥野から届けられた畑中の絵の数々が積んであった。奥野は姉川の下を訪れ、彼の生気に満ちた目を見て一切を満足する。そして二人で最後に畑中から買い取った絵を眺め、これまで絵の中にあった「何か」が技法の上達によって失われたことを語り合う。

絵が売れなくなった畑中は生活が苦しくなり、津奈子を連れて故郷の萩に帰る決心をする。東京での最後の思い出にと、夫婦で伊豆旅行に出かけ、舩原の宿に泊まる。その宿は奇しくも姉川が創作に苦しんで引きこもった温泉宿だった。畑中は客室で新聞の美術欄に書かれた姉川の新作「青のある断層」の記事を読みながら、姉川と同じ宿に泊まったことを今後の一生の自慢にするだろうと思いを馳せて物語は閉じる。