2025年2月24日月曜日

今年の大阪マラソンも面白かったです

今日は楽しみにしていた大阪マラソン2025をテレビで観戦しました。今日の大阪は小雪が舞う非常に寒い一日でしたが、レースは今年も白熱しました。序盤は、先頭が2分58秒という速いペースで進みますが、この集団に海外招待選手のみならず多数の日本人選手がくらいつきます。徐々にふるい落としが始まる中、30キロでペースメーカーが抜けてからはハイペースを維持したまま、目まぐるしく先頭集団の構成が変わる手に汗握る展開になりました。

そして最終盤、三菱重工の近藤亮太選手と海外招待選手のアダン選手、トーラ選手の3名がデットヒートを行います。ラスト1200メートルの時点で近藤選手とアダン選手の一騎打ちになり、最後はアダン選手がわずかに前に出て優勝のゴールテープを切りました。記録は、2時間5分37秒でした。近藤選手は初マラソンながら、2時間5分39秒の2位でゴールしました。この記録は初マラソン日本最高記録です。3位がトーラ選手で記録は2時間5分52秒、4位は私の故郷・茨城県出身の細谷恭平選手が2時間5分58秒でした。細谷選手はレース中盤で一旦先頭集団から離れてしまいましたが、持ち前の粘りで徐々に盛り返すと、先頭集団に割って入り、見事2時間6分切りの記録となりました。細谷選手は既に2時間6分代を2回記録しており、安定感バツグンです!是非世界の舞台で活躍してほしいです。

さらに青山学院大学の黒田朝日選手が、学生記録を更新する2時間6分5秒で6位でした。私にとってうれしかったのが、日本記録保持者の鈴木健吾選手が2時間6分18秒で8位に入ったことです。鈴木選手は日本で唯一2時間4分代のベストタイムを持つのですが、近年故障もあって自分が思うようなレースは出来ていなかったと思います。今日は終盤まで勝負に絡んでおり、復活を印象付ける素晴らしいレースでした。今後も期待しております。

今日のレースの惜しかった点は、30キロ過ぎの折り返し点で先頭集団がコースを間違えてしまい40メートルほどロスしたことです。たらればになってしまいますが、最終結果が好記録連発だったので、このロスがなければと思わずにはいられません。

来週は東京マラソンです。今日の大阪と同様の熱いレースを楽しみにしています。


結果の抜粋

1位 Y.アダン(エチオピア)   2時間5分37秒=大会新

2位 近藤亮太(三菱重工)    2時間5分39秒=初マラソン日本最高、大会新

3位 A.トーラ(エチオピア)   2時間5分52秒=大会新

4位 細谷恭平(黒崎播磨)    2時間5分58秒=大会新

5位 G.モラ(エチオピア)    2時間6分04秒

6位 黒田朝日(青学大)     2時間6分05秒=学生最高記録

7位 菊地駿弥(中国電力)    2時間6分06秒

8位 鈴木健吾(富士通)     2時間6分18秒

2025年2月23日日曜日

西国街道沿いをたっぷりジョギングしました

連休の中日ということで、3時間走で体を虐めてきました。平日は仕事で方々から虐められ、休日は自分自身を虐めています。いつか解放される日を夢見ております。

折角、長時間走るので、西国街道沿いをダラダラを走りました。下記の写真は茨木市にある郡山陣屋址だそうです。立札によると、京都と西宮を結ぶ西国街道には山﨑、芥川、郡山、瀬川、昆陽(こや)の5つの宿駅があり、郡山はその中心として重要な役割を果たしたのだそうです。この本陣は、1718年(享保三年)に火事の類焼で焼けてしまったそうですが、1721年(享保六年)に西国諸大名の寄付により再建されたものだそうで、現存する建物はこれだけだそうです。かつては摂津、備前、備中、美作などの諸大名や、忠臣蔵で有名な赤穂城主の浅野内匠頭などが宿泊し、1865年(慶応元年)には明治天皇がお立ち寄りになったそうです。本陣の正門の脇には椿の大樹があることから「椿の本陣」と呼ばれていたのだそうですが、残念ながら現在は拝観できないようになっていました。



さらにヨチヨチ走りで足を進めると、南北に伸びる旧亀岡街道と、東西に伸びる西国街道が交わる交差点にでました。この場所は、中川原町と呼ばれ、茨木城主だった中川清秀の出生地だそうです。ここまで来た時点で大分疲れていたのですが、さらに東に1.5キロ進むと継体天皇陵があるということで、そこまで頑張ることにしました。


途中、場所がわからず苦労しましたが、何とか継体天皇陵(太田茶臼山古墳)までたどり着きました。残念ながらというか、予想通り宮内庁の管轄なので中には入れず、遠くからお写真だけを撮らせていただきました。誰の墓なのかは諸説ありそうなことが教育委員会の掲示板に書かれていました。こういう発掘許可というのは中々下り無さそうなので、謎の解明には時間がかかりそうですね。


何とかここから折り返して、元の道を戻り、かつて楠木正成公が使われたという井戸のところまでたどり着きました。この時点で2時間以上走っていたので、息も絶え絶えです。

そして、達磨で有名な勝尾寺の表参道入り口の鳥居まで戻り、歩いているのか走っているのかわからないペースで帰路につきました。

来月にフルマラソンを控えているので、良い練習になりました。






2025年2月20日木曜日

「新装版 王城の護衛者」(司馬遼太郎著、講談社文庫)を読み返して

出張で新大阪と博多駅を往復する機会があったので、新幹線の車内で司馬遼太郎著、講談社文庫「新装版 王城の護衛者」を改めて読み返しました。行きと返りでちょうど読み終えることができて、良いリフレッシュになりました。

この本は、司馬遼太郎氏の短編集で、表題作である「王城の護衛者」の他、「加茂の水」、「鬼謀の人」、「英雄児」、「人斬り以蔵」、の5つの短編作品が収蔵されています。これらの短編は、いずれも幕末の一場面で歴史の表舞台を彩った人物に焦点を当てています。

「王城の護衛者」の主人公は、会津藩主の松平容保公です。会津藩の藩祖・保科正之は、二代将軍・徳川秀忠が側室に産ませた庶子でありながら、初代会津藩主として陰ながら徳川宗家を良く補弼し、宗家を守る使命を家訓として会津藩に代々受け継がせます。容保公は実直な性格で、その家訓を守ることを天命としますが、幕末という時代の激流に翻弄され、京都守護職に抜擢されてからも、時節の流れに懊悩します。その中で孝明天皇に心酔し、容保公の中に王を守ることが新たな使命として芽生えます。帝も容保公に心を開き、二人の絆は深いものに思われました。しかし、孝明天皇は崩御し、容保自身も長州や薩摩の巧みな政略によって賊軍の汚名を着せられ、失意のうちに表舞台から姿を消すことになってしまいます。表舞台から退場させられた後の容保公は、孝明天皇からいただいた直筆の勅諚を死ぬまで肌身離さず持ち歩いたそうです。そして怨念の籠る遺品は現在も銀行の貸金庫に眠っていると締めくくられて物語が閉じられます。容保公は、一切の政略を用いず「策ではなく至誠こそが最後に勝つ」という信念で、変化に抗いました。しかしその翻弄され、苦悩する姿は、令和の恐ろしい世の中を生きている身にも迫るものがありました。

「加茂の水」は、玉松操(たままつ・みさお)という下級公卿の老人が主人公です。玉松は博覧強記で筆も立つのですが、変わり者として知られ、琵琶湖のほとりで隠遁生活を送っていました。それが蟄居していたときの岩倉具視に見いだされ、以後岩倉のブレーンとして権謀術数の限りをつくし、彼を支え時代を動かします。特に、幕末の鳥羽伏見の戦いで戦況を一変させた秘密兵器、「錦の御旗」は彼のアイディアとのことです。維新後は官に取り立てられるも欧化主義に憤慨し、官位をなげうち、市井に没します。優れた能力がありながら不遇の時を過ごすも、一瞬の強烈な光を放つさまは、この短編集の主人公に相応しい人物と思います。

「鬼謀の人」は、村田蔵六、のちの大村益次郎が主人公です。司馬遼太郎氏の長編作品に「花神」という作品があるのですが、それをダイジェストにしたような作品です。長州藩の村医の子であった村田蔵六は、学問で身を立て、大坂の適塾で頭角を現し、幕府や伊予国宇和島藩をはじめ、様々な藩から高く評価されるものの、自身の藩である長州藩からは足軽という身分のせいで評価されませんでした。それが桂小五郎の推挙などもあり長州藩の軍師となるや、第二次長州征伐や戊辰戦争などで八面六臂の活躍をします。ところが難しい性格から周囲と衝突を起こし、ついには明治二年に凶刃に倒れます。歴史が彼を必要とした瞬間に表舞台に立ち、自らの役目を終えると速やかに退場するさまがこの作品にも見事に描かれています。余談ですが、戊辰戦争の際に上野で彰義隊と戦ったときに佐賀藩のアームストロング砲が戦闘に使用され大活躍するのですが、この部分は「アームストロング砲」という短編が出ています。

「英雄児」は、長岡藩の河井継之助が主人公です。風変わりな人物で、何を考えているのか周囲にも理解されませんが、物事の先を読む傑出した才能を持ち、小藩である長岡藩の重臣に抜擢されるや藩の財政を見事に立て直し、藩の軍備強化に心血を注ぎます。そして戊辰戦争の中、真向を切って官軍と戦います。一時は官軍を追い詰めますが、結局は戦争は敗北に終わり、継之助自身も戦いで受けた傷がもとで亡くなります。この戦いで長岡藩が負ったダメージは大きく、その恨みは亡くなった継之助に向けられ、幾度となく墓が壊されるという描写に心が痛みました。どんな英雄傑物も置き場所を間違えると大変なことになる、との締めくくりが心に沁みました。たしか、継之助の生涯については長編小説「峠」で描かれていたと思うのですが、この長編は未だ読んでいません。

最後の「人斬り以蔵」は、土佐藩士、岡田以蔵とその師である武市半平太が主人公です。以蔵は剣で身を立てることを夢見て、縁戚である武市を師と仰ぎます。武市は郷士の身分ながら人望が厚く、剣の腕が立ち、土佐勤王党を組織し、当時の藩の実権を握っていた吉田東洋を暗殺し、藩での発言権を増していきます。一方の以蔵は、「人斬り以蔵」の異名をもち、剣こそが自己表現と捉え、土佐藩のみならず諸藩の汚れ仕事(暗殺)に奔走します。以蔵は武市に心酔しますが、武市は以蔵を恐れつつも苛烈にあたります。徐々に二人の亀裂が深まり、ついに以蔵は武市から放擲され、失意のうちに京都に逃れます。そんな中、土佐藩は山内容堂が藩の実権を握り、佐幕派の揺り戻しが始まります。武市ら勤王党は捕縛され、拷問により過去の暗殺事件などを詰問されますが、皆命を賭して自白しません。一方の以蔵は些細な事から京都で刃傷沙汰を起こし、捕縛されたのち土佐に連れ戻されます。最後は以蔵が武市への復讐心から自らの罪を自白し、その科により武市は切腹、以蔵は梟首のうえ首を晒されることになります。鬱屈した愛情が憎しみに代わっていくさまが生々しいです。



2025年2月16日日曜日

第5回全国大学対校男女混合駅伝をテレビで見ました

今日は、テレビで第5回全国大学対校男女混合駅伝をみました。この大会は、男子と女子が交互にタスキをつなぐ駅伝大会で、全6区間、合計20キロの距離で争われます。私は、第1回から見ていますが、これまでは順天堂大学が3回と日本体育大学が1回、優勝しています。
今回のレースでは、序盤の2区間は連覇を狙った順天堂大学が優位に進めますが、3区で日本体育大学の富永選手が区間新記録の快走でトップに立つと、残りの三区間でトップを守り切り、見事優勝しました。2位は、4区のサラ選手と5区の大澤選手が区間賞を獲得した大東文化大学で、連覇を狙った順天堂大学は3位でした。
この大会は、全部で20キロしかないので、全体が1時間強で終わるコンパクトな大会です。昨年までは東大、京大、一橋大、阪大の4大学を対象にした国立大学四大学対抗戦が併設されており、我らが大阪大学が四連覇していたのですが、今年は無いようでした。普段、キャンパスを散歩していると陸上部が練習する姿を見かけたりするので、雄姿が見られず残念です。

結果の抜粋
1位 日体大     58分27秒(大会新記録)
2位 大東大     59分17秒(大会新記録)
3位 順大      59分53秒(大会新記録)
4位 駿河台大  1時間0分17秒
5位 筑波大   1時間0分26秒

追記:
この駅伝が行われた2月16日に、スペインのバルセロナで行われたバルセロナ・ハーフマラソンの男子の部で、ウガンダのJ.キプリモ選手が世界記録となる56分42秒で優勝しました。従来の世界記録を48秒も更新する驚異的な記録です。この記録を1キロ平均で換算すると2分41秒(161秒)ペースになり、100メートル平均で換算すると16.1秒になります。
奇しくも、今回の男女混合駅伝の男子の部の1区(3キロ)と5区(2キロ)で共に区間記録が出たのですが、それが8分02秒(482秒)と5分20秒(320秒)でした。これを100メートルに換算すると大体16秒になり、何とキプリモ選手はこれと同じスピードで走ったことになります。男子大学生のトップランナーが2~3キロを全力で走るのと、ハーフマラソン(21.0975キロ)が同じスピードと言うのは唯々驚きです。

また、キプリモ選手は最初の10キロを26分50秒でカバーしているのですが、現在の男子1万メートルの日本記録が富士通の塩尻和也選手が2023年に出した27分09秒80なので、その時点で日本記録を上回っていることになります。下記に示した各5キロごとのラップを見ても、男子5000メートルの日本記録である、大迫傑選手が出した13分08秒40とほとんど遜色ないことがわかります。

56分42秒を単純に倍にすると1時間53分24秒になります。人類の夢とも言うべき、フルマラソン2時間切りまで6分36秒の余裕があります。キプリモ選手は、今度のロンドンマラソンに挑戦するそうなので、いよいよフルマラソンで2時間切りが達成されるかもしれません。

キプリモ選手の驚異の世界記録メモ(5キロごとのラップ)
0-5km     13分38秒
5-10km     13分12秒
10-15km    13分17秒
15-20km    13分32秒
20-21.0975km    3分03秒

2025年2月13日木曜日

「支払い過ぎた縁談」(松本清張著、光文社文庫)が心に沁みる

疲れた時は松本清張の短編ということで、「支払い過ぎた縁談」を読み返しました。この作品は、松本清張短編全集の10巻(光文社文庫)に収納されている作品で、昭和32年(1957年)の間に書かれた短編です。この作品は一切の無駄のない、詐欺事件の要約文のような短編です。

巻末の作者自身の作品評によると、軽い短編として週刊誌に載せたもので、Oヘンリーのような短編の味を狙ったもの、だそうです。Oヘンリーというと英語の授業で習った、「最後の一葉」くらいしか知らないのですが、どちらかと言えば心温まる作品を書いていると思います。この作品は、それよりも松本清張の色が出ていて、無慈悲で現実的な雰囲気が良いです。大人になると変な慰めよりも、こちらの方が心に沁みます。

作品では、資産家親子がプライドの高さに付け込まれてしまい結婚詐欺に遭います。こういう無駄なプライドが色々な隙を生みだす元なのですが、小市民の私にはそういう隙が生じてしまう心の弱さも良くわかります。とても身につまされる作品です。


あらすじ(昭和32年の社会通念と貨幣価値です。目くじら立てないようにお願いします)

 萱野家は、とある田舎の地主であり、徳右衛門(とくえもん)はその当主である。徳右衛門には三人の子供がおり、下二人の男児はまだ学校に通っているが、一番上の幸子は26才の独身で家に居る。徳右衛門と幸子の所には、これまで沢山の縁談が持ち込まれたが、親子共にプライドが高く、自分たちのような名家には不釣り合いとの理由で断り続けた。その結果、幸子は婚期を逃してしまい、親子は内心焦っていた。

 萱野家には家に代々伝わる貴重な古文書があり、しばしば研究者の訪問を受けることがあった。そんな折、東京のXX大学文学部講師の高森正治と名乗る人物が徳右衛門のもとを訪れる。彼は徳右衛門に古文書を見せてほしいと言い、古文書を撮影したあと、御礼の品として自分が発掘した石器時代の石包丁を徳右衛門に渡す。そして去り際に幸子に婚約があるかを確かめて萱野家を去った。

 それからしばらくして、高森の叔父で弁護士の高森剛隆(たかもり・ごうりゅう)という人物が萱野家を訪れる。曰く、甥が先日こちらを訪れた際に、幸子に一目惚れし、是非甥と婚約してほしいと切り出す。徳右衛門、幸子の親子は、将来は大学教授という高森正治の洋々とした前途を思い、この縁談に至極満足する。そののち、幸子と正治の間で心のこもった文通が始まり、正治から金の指輪や小さな金側時計が送られる。

 そんな折、萱野家の前に見たことも無いような高級車が故障して止まり、中から細見で長身な桃川恒夫という男が下りてくる。桃川は車を修理して手が汚れたため、手を洗わせてほしいと幸子に願いでる。幸子と徳右衛門は恒夫の美貌と富裕の匂いに動揺し、正治との縁談に迷いが生じる。それから間髪入れずに恒夫の母と名乗る人物が萱野家を訪れ、幸子と恒夫との縁談を切り出す。曰く、桃川家には4,5千万円の財産があり、それらは全て一人息子の恒夫が相続すること、結納金は300万円ほど用意することを告げられる。さらに徳右衛門親子は、恒夫の東京のアパートに招待され、その外国映画のような豪華な暮らしに圧倒される。彼らは正治との縁談を破談にすることを決め、指輪や時計を正治に返却する。

 破談を聞きつけた高森剛隆は怒り狂い、萱野家を訪れ、慰謝料80万円を要求する。徳右衛門は、はじめは要求を突っぱねるが、幸子から正治に当てた手紙の数々が桃川家に渡ることを恐れて思案する。彼は、頭の中で桃川家からの結納金300万円があれば80万円差し引いても220万円残ると計算し、所有する山林を売り払って高森の叔父に80万円支払う。

 これで障害はなくなったと安堵する萱野親子であったが、不思議なことに桃川家との連絡が途絶えてしまう。不安になった萱野親子は東京の恒夫のアパートを訪れると、既にもぬけの殻で、それは高森正治のアパートも同様であり、自分たちが詐欺にあったと知る。心に沁みる原作の最後の一文がこちら、「石器時代の石包丁は粉々に割られて庭のどこかに捨ててある。しかし、これは4人の詐取者が置いていった唯一の高価な置き物であった。」



2025年2月11日火曜日

第63回・延岡西日本マラソンをテレビ観戦して

BSフジで放送していた第63回延岡西日本マラソンをテレビ観戦しました。ここ数年、私が密かにテレビ観戦を楽しみにしている大会です。宮崎県延岡市は、長距離陸上の名門・旭化成のおひざ元であり、この大会もかつては旭化成の陸上部の選手が数多く優勝してきました。しかし直近2年間は、早稲田大学の陸上部の選手が続けて優勝しています。特に、昨年の伊福陽太選手は、初マラソンながら大会記録を大きく更新する2時間9分26秒で見事な優勝を飾りました。昨年のレースでは、伊福選手が30キロ過ぎに積極的にスパートを仕掛け、並み居る実業団の選手を振り切る様子がとても印象に残りました。
今回のレースは5キロを15分30秒前後のペースで推移し、途中までは大会記録よりもかなり遅く、先頭集団も20人前後の大集団でした。しかし中間点を過ぎてから徐々にふるい落としがはじまり、30キロでペースメーカーが外れると勝負が始まります。その中で、果敢にスパートをかけたのが、中央大学からトヨタ自動車に進んだ湯浅仁選手でした。31キロ過ぎからは1キロ辺り3分を切るラップを刻んで後続をぐんぐんと引き離しました。30~35キロのラップが15分02秒、35~40キロが14分58秒と素晴らしいスパートをみせます。そのまま最後の落ち込みも最小限に食い止めて、2時間9分43秒のタイムで見事に優勝を飾りました。途中までは、今年はサブテンが出ないのかと思って見ていたので、後半のペースアップに驚きました。湯浅選手は、地元・宮崎県の出身とのことで、優勝インタビューでお父さんとやり取りをされていたのですが、その様子にとてもほっこりしました。今後の御活躍を期待しております。
この大会はいつも夜中にダイジェスト放送されるのですが、今年も見ごたえのあるレースが見られて良かったです。

2025年2月9日日曜日

山口ハーフマラソン2025をテレビ観戦しました

今日は、第53回全日本実業団山口ハーフマラソン2025をテレビで観戦しました。この時期は毎週レースが放送されるので、マラソン好きオジサンにはたまらないです。先週の丸亀ハーフでは男子の日本記録が生まれたので、今週の山口ハーフはどんな展開になるかを楽しみにしておりました。山口ハーフは男子も女子も実業団のトップクラスの選手が多数出場します。今年は東京で世界陸上があるので、トラックやマラソンで代表の座を狙っている選手たちが積極的にレースを動かしておりましたが、氷点下の気温と部分的に凍結した路面のせいかコンディションは悪そうに見えました。10キロのトップ通過は男子が28分48秒、女子が33分16秒、15キロのトップ通過は男子が42分59秒、女子が49分45秒でした。

そんな悪天候のレースでしたが、男子のレースは19キロ過ぎにサンベルクスの市山翼選手が果敢に抜け出し、競技場に飛び込みます。競技場では、ホンダの伊藤達彦選手が猛追を見せますが、それを抑えて1時間00分22秒で見事に優勝されました。2位は伊藤選手で1時間00分27秒でした。故郷・茨城の英雄、細谷恭平選手は1時間00分43秒で8位。2週間後の大阪マラソンに挑むとのことですので今から楽しみにしております。

女子は岩谷産業の川村楓選手と天満屋の吉薗栞選手の一騎打ちになりましたが、20キロを過ぎて競技場が見える位置から吉薗選手がスパートします。そのまま吉薗選手が1時間09分45秒で優勝。川村選手が1時間09分50秒で2位でした。

レースはとても見ごたえあったのですが、天候が残念でした。長距離陸上選手は毎日血のにじむような努力をして、数少ないレースに万全の調整をして挑むので、気象コンディションがもう少し良ければと思いました。

マンガ日本の歴史13巻「織田信長と関白秀吉」(石ノ森章太郎著、中公文庫)を読み返して

出張で新幹線に乗ることがあり、その道中で久しぶりに、石ノ森章太郎著、マンガ日本の歴史13巻「織田信長と関白秀吉」を読み返しました。

作者の石ノ森章太郎先生は、「仮面ライダー」や「サイボーグ009」などの作品で知られる、昭和を代表する漫画家の一人です。私たちの世代のマンガ好きは、手塚治虫先生、藤子不二雄先生、赤塚不二夫先生と同様に大きな影響を受けた漫画家だと思います。余談ですが、これらの方々が皆、若い頃にトキワ荘という東京都豊島区のアパートに同居していた時期があります。日本を代表する方々が一堂に会して研鑽を積んだトキワ荘は今は無いそうですが、跡地がミュージアムになっているそうです。一度は訪れてみたいです。

マンガ日本の歴史シリーズは、私が高校生くらいの時に連載が始まった漫画で、邪馬台国から近代・現代まで網羅した素晴らしい大作です。2021年に中公文庫から全27巻の文庫本として再販されております。漫画でありながら膨大な情報量が詰め込まれており、巻末には年表や解説も豊富に出ており、歴史好きには是非お勧めの作品です。

13巻は、西暦1560年頃から1590年頃を対象にしており、織田信長の台頭から豊臣秀吉が関白となり小田原の北条氏を滅亡させるところまでが描かれています。それも単に織豊政権のメインストリームだけを追うのではなく、キリスト教の伝来や一向宗の動向、他の戦国大名の動きなどが丁寧に描かれており、とても勉強になります。私は戦国時代の合戦が好きなので、数多の合戦が出てくるのが嬉しいです。たった30年がこのボリュームになるので、激動の時代であったことが偲ばれます。







2025年2月7日金曜日

名古屋大学医学部に出張

お仕事で名古屋大学の医学部に行ってきました。大阪から新幹線と在来線を乗り継いで2時間くらいでつきました。名古屋大学の医学部は鶴舞キャンパスという所にあり、付属病院と併設されています。JR中央本線の鶴舞駅が最寄り駅になります。これまでに何回か来させていただいたことがあるのですが、病院の巨大な建物に圧倒されます。

予定よりも少しだけ早く到着したので、建物の外周を1周りしました。すると名古屋大学医学部の前身にあたる、愛知県立医学校時代から使われていたという門扉が保存されていました。愛知医学校がここ鶴舞にあったのは1914年からだそうですので、100年くらいは経っていそうです。現在は、有形文化財だそうです。流石、歴史と伝統ある大学です。

さらに外周を巡ると、奈良坂源一郎博士の邸宅跡、という立て札と石碑がありました。奈良坂博士は、名古屋大学医学部の解剖学教授を何と40年もされていた方で、博物学でも多大なる貢献をされた方だそうです。
私のような生化学をやっているものにとって、酵素の反応速度論といえば、ミカエリスメンテンの式が真っ先に思い付くのですが、その式を考案した一人である、レオノール・ミカエリス博士も名古屋大学医学部の生化学の教授だったことがあるそうです。そもそも日本にいたことがあることすら知らなかったので、大変驚きました。

仕事でも色々勉強させていただきました。また機会があれば是非訪れたいです。

2025年2月2日日曜日

マラソン日和(丸亀ハーフマラソン、別府大分毎日マラソン)

今日はマラソン日和ということで、香川では香川丸亀国際ハーフマラソン、大分では別府大分毎日マラソンという2つのメジャーな大会が開催されました。ちょうど開催時間に絶妙な差があり、両方のテレビ中継を連続してみることができました。マラソン好きにはたまらない一日です。

先に行われた丸亀ハーフマラソンの方では、遂に日本記録の更新が見られました。これまでの日本記録は2020年にヤクルトの小椋裕介選手(青山学院大学出身)が出した、1時間ちょうど(1時間00分00秒)でした。今回は社会人、学生のトップランナーが集結し、好天候と相まって記録の更新が期待されておりました。レースは序盤からハイペースで展開しますが、アレクサンダームティソ選手を含む有力な外国人選手に混じって、トヨタ自動車の太田智樹選手とハーフマラソンの学生記録を持つ駒澤大学の篠原倖太朗選手、立教大学の馬場賢人選手らが集団にくらいついていきます。レースが進むに従って、過酷なふるい落としが行われますが、太田選手と篠原選手は先頭集団についていきます。2人はレースの終盤にやや先頭からは遅れますが、最終盤に太田選手が篠原選手を振り切って、全体3位でゴールしました。タイムは59分27秒(時間はテレビでみた値)!篠原選手も全体4位、タイムは59分30秒でした。お二人ともに、ついに日本人初の1時間切りです。オジサンは見ていて感動しました。また、「山の名探偵」の異名を持つ早稲田大学の工藤慎作選手が1時間00分06秒という好記録で全体5位。このレースは日本学生ハーフマラソンも兼ねているので、その部門で見事優勝です。ゴールする時は、箱根駅伝の時と同じ「真実はいつもひとつ」の名探偵コナンのポーズでした。素晴らしい走りでした。

続く別府大分毎日マラソンは、今年の9月13~21日に東京で行われる世界陸上の選考レースにして、毎年沢山の大学生ランナーも挑戦するマラソン大会です。レースは複数の大学生が積極的に先頭集団に加わって展開し、30キロでペースメーカーが外れたあと國學院大學の平林清澄選手が仕掛けます。そこに九電工の大塚選手、青山学院大学の若林選手、海外招待選手のキプチュンバ選手の3人がついていきます。さらに35キロ過ぎに2時間4分28秒のベストタイムを持つキプチュンバ選手が上り坂を利用して仕掛けます。何とそれについていったのが青山学院大学の若林選手でした。そして40キロ過ぎ、若林選手が仕掛けます。このレースを最後に本格的な競技から引退する選手とは思えない、気迫のこもった走りに感動しました。テレビ解説の原監督の煽りも相まって、私も大興奮でした。41キロ過ぎにキプチュンバ選手が最後の仕掛けをし、そのまま2時間6分01秒で優勝。若林選手は2時間6分07秒で第2位、平林選手のマラソン学生記録を更新し、今年の世界陸上の派遣標準記録も達成しました。

日がな一日、テレビの前でボーっと見ていただけなのですが、2つも素晴らしいレースが見られて良かったです。


2025年2月1日土曜日

「ドラフトキング」(クロマツテツロウ著、集英社)第1巻を読んで

この物語の主人公は、売れる野球選手を知り尽くした凄腕のスカウトマンにして、唯一無二のキラキラネームを持つ男、郷原眼力(ごうはら・おーら)です。彼はプロ野球球団、横浜ベイゴールズのスカウトマンとして全国を飛び回り、自分の観察(眼力)と直感を信じて、他のスカウトマンが目もくれないような選手の中の秘めた才能を見出します。

タイトルのドラフトキングとは、その年のドラフト選手の中の”最終的な”出世頭のことだそうです。例えば不世出のスラッガーだった落合博満選手やイチロー選手、200勝投手になった工藤公康選手は、みなドラフト1位では指名されていないが、プロになって才能が開花し、素晴らしい成績を残した、ということでスカウトマンはそういう才能の発掘を目指しているとありました。

スカウトマンに焦点を当てた、裏方系の野球漫画は珍しいと思い、読んでみました。