「抜け雀」は昔の名人の逸話と言った噺で、芸事を極めると魔法のような事まで起こすことができるという、昔話の典型のような噺です。同じような名人の逸話に「宗民の滝(そうみんのたき)」があるかと思います。噺のマクラで現在の落語家に名人はいない、と志ん朝が語っているのがあるのですが、芸事を極めるというのは容易ならざることだと伝わってきます。
あらすじ:
江戸時代、旅人たちに嫌がられたものに護摩の灰(ごまのはい)と雲助(くもすけ)というのがあるそうです。護摩の灰というのは泥棒のことで、旅の道中で一度でも目をつけられると、お金を取るまでどこまでも追ってきたそうです。だから当時は、しつこくて嫌な奴のことを、あいつは護摩の灰みたいだ、といったそうです。さらに、それ以上に嫌がられたのが雲助、駕籠かきだそうです。当時の駕籠かきには悪い奴が混じっていて、女性の一人旅とみるや無理やり駕籠に乗せ、目的地とはまるで違う方向に連れて行って散々酷いことをした、なんて話が幾らもあったそうです。
東海道の宿場町、小田原は夕暮れになると各宿の前には客引きが出て、大層にぎわったそうだ。そこへ行くのは汚い着物をきた若い男。他の旅人は方々の客引きに声をかけてもらえるのだが、自分は誰からも声がかからない。そのうちに相模屋という鄙びた宿屋の主人が声をかけてきたので泊まることにした。若い男は「内金に百両でも預けようか」と大きなことを言うので、人の良い主人は安心してしまった。しかし宿につくと、男は朝、昼、晩に一升ずつ、日に三升もの酒を飲んで七日もの間、寝てばかりいる。宿のおかみさんが支払いを心配して、主人にせめて酒代だけでも回収するように言ってきた。主人は嫌々ながら酒代として五両欲しいと催促すると、なんと男は無一文であることが判明する。困り果てた主人は男の職業を聞くと、狩野派の絵師だと答える。せめて大工だったらどこかを直してもらえたのにと主人が愚痴を言うと、男は真っ白な衝立を見つけ、これに絵を描いてやろうという。その衝立は無一文で泊めた丁子屋に作らせたもので、白いままなら売れるから描かないでほしいと懇願するが、男は言うことを聞かない。主人に墨を磨らせて自分は構図を考え、流れるように雀を五羽描き加えた。曰く、一羽につき一両。五羽で五両の価値がある。これを宿賃の抵当(かた)として置いていくので、再びこの宿を訪れるまで売ってはいけないと一方的に言い放って宿を出て行ってしまう。一方、おかみさんは男が宿賃を踏み倒して逃げていったと知り、不貞腐れて寝てしまう。
翌朝、主人は不貞寝しているおかみさんを尻目に、昨日まで男が泊まっていた部屋の雨戸をあけると、部屋のどこからか雀が五羽でてきて、窓から外へ飛んで行ってしまった。主人は昨晩雨戸を閉めたときに鳥を閉めこんでしまったのかと思っていると、外へ出て行った雀が窓から戻ってきて再び衝立の中に収まった。主人は驚き、おかみさんに事の顛末を告げるのだが信じてもらえない。周りの人達に話をしてもやはり誰も信じてくれないので、次の朝、皆を部屋に集めて雨戸を開けてみる。すると昨日と同じように衝立から雀が飛び出し、雨戸の外へ出て行ったかと思うと、しばらくして部屋に戻り、衝立の中に収まった。
この評判が国中に広まり、相模屋は雀のお宿と呼ばれ大そう繁盛した。さらに、この評判が時の御城主、大久保加賀守さまのお耳に届き、お殿様の前で衝立を披露することになった。お殿様は大層感心し、千両で買い取ろうと申し出る。しかし正直者の主人は男との約束でお売りできないと伝える。お殿様は、ではその男が再び戻ってきたら知らせるようにと言いつけ、お城に戻る。
その後も相模屋は繁盛を極めるのだが、ある日、歳の頃六十くらいの人品卑しからざる老人が訪れ、衝立を見たいと言い出す。主人が誇らしげに衝立を披露すると、この絵には抜けがある、と言う。曰く、この絵には止まり木が描いていない、と。主人は止まり木なんて不要だと言うのだが、老人は止まる所がないと衝立の雀はいずれ死んでしまうだろうと言い放つ。さらに老人が止まり木を描いてやろうと言うので、主人は渋々承諾する。次の朝、雀たちが衝立から飛び出して外へ出て行った隙に、老人は鮮やかな筆さばきで止まり木と鳥籠を描いた。やがて雀たちが戻ってくると衝立の鳥籠に入り、止まり木の上で羽を休めた。これを皆が見ていたため、評判がさらに広まり、二度目に大久保加賀守さまがご覧になった時には、千両上がって二千両の値がついた。
宿屋の夫婦は怖くなってガタガタ震えている。と、そこへ雀の絵を描いた若い男が再び宿に戻ってきた。しかも今度は立派な身なりをしている。主人は約束通り絵を売らなかったことを告げると、約束を守ってくれたお礼に絵は進呈する、と言う。続いて主人は見知らぬ老人が止まり木を描いた顛末を告げると、男が驚き、絵を見たいと言い出す。男は衝立を前にすると、急に神妙になり、絵に詫び始める。男が言うには、これを描いたのは自分の父上で、自分は絵のことで思い違いをして勘当され、今回の雀の絵が元で勘当を許され、国許に帰る途中だと言う。主人が、「これだけの絵が描けるような名人になったのだから、あなたは孝行ものだ」と告げると、男が言う、
「いや拙者は不届きものだ。大事な親を駕籠かきにしてしまった。」