2024年9月1日日曜日

三代目・古今亭志ん朝の「居残り佐平次(いのこりさへいじ)」を聞きながら

噺のマクラには、この噺のサゲである「おこわ」の説明から入ります。 

江戸時代の川柳集である柳多留(やなぎだる)には、「四、五両のおこわを息子夕べ食い」とある。おこわと言うのはお強飯です。これが四、五両というのですから非常に高い。実は、「おこわ」というのは美人局(つつもたせ)の隠語になっているのだそうです。どうして美人局がおこわのかと言うと、「おー怖わ」という所が由来になっているのだそうです。


あらすじ:

遊びには上中下の区別があり、廓に足を踏み入れないのが上客であるという。「上は来ず、中は昼来て昼帰り、下は夜来て朝帰り、そのまた下下は居続けをし、そのまた下下は居残りをする」。これらの上中下は遊女の方が決めたもので、彼女たちは長居する客をとにかく嫌がった。だから居残りなんて、とても迷惑な行為だった。

この噺の主人公、佐平次(さへいじ)が友達3人を遊びに行こうと誘う。「なか(吉原)」かと一人が問うと、吉原は飽きたから品川宿の遊郭(通称:みなみ)まで足を伸ばそうと言う。さらに、芸者も揚げて一晩景気よくどんちゃん騒いで飲み食いして、一人一両ずつ俺に渡せと言う。友人は、品川で一晩過ごすだけでも一両では心もとないのに、飲み食いまでしたら無理だと言うのだが、佐平次は大丈夫だと取り合わない。

品川につくと、良さそうな店を見つけて、散々遊びつくして一夜を過ごす。おしけとなる前に佐平次は3人を集めて一両ずつ出させる。そして、3両に自分の1両たして4両を1人に渡して、この金を自分の母に渡してほしい、明日は朝早く帰るように告げる。理由を聞くと、自分は居残って場を取り繕い、そのうち上手く抜け出るつもりだと言う。

あくる朝早く、3人を帰して、佐平次は一人遅くまで寝ている。店の若い衆が起こしに来ると、巧みに勘定の催促をかわして朝湯に入ったり、迎え酒をしたり好き放題振る舞う。夕方まで居続けるので、若い衆が催促に出向くと、実は先に帰った3人が本日再び店に来るのを待っているという。若い衆は納得して戻っていくが、その晩結局3人は来ない。次の日も同様の手口で居続けようとするが、流石に若い衆は騙されない。厳しく勘定の催促をしたところ、金は無いと佐平次が言う。では友人にお金を持ってこさせろと言うと、知り合ったばかりで連絡先を知らないという。若い衆たちは怒り心頭で佐平次を取り囲むのだが、佐平次は動じない。おとなしく布団部屋に引っ込んで居残りとなる。

夜になると遊郭は忙しくなり、誰も佐平次に構っていられない。すると佐平次は布団部屋を抜け出し、店の手が行き届いていないお客を回って幇間のようなことを始める。これがとても巧みでお客の間で評判になり、ご指名がかかったり、御祝儀をいただいたり、本職の若い衆顔負けの活躍をする。するともらいの少なくなった若い衆たちが不満になり、佐平次を追い出してほしいと主人に訴える。

主人は初めて佐平次に対面し、勘定は追々で良いので家に帰るように勧める。佐平次は主人に感謝しつつ、実は自分は生まれついての悪党で前科があり、この店から出られないと嘘をつく。驚いた主人は、罪人をかくまったことがばれたら店はお取り潰しになるから頼むから出て行ってくれとうろたえる。主人は佐平次に言われるままに旅費から着物(結城の紬)、足袋まで差し出したので、佐平次はようやく出ていく。

佐平次が店を出たあと、主人は佐平次がちゃんと帰ったか不安になり、若い衆に見てくるように命じる。若い衆は外に出て、往来を堂々と鼻歌混じりに歩いている佐平次を見つけて、大丈夫かと聞くと、「自分はなか(吉原)でもこつ(小塚原)でも居残りを商売としている佐平次というものだ。品川ではやった事が無かったが、とても上手く行った」と上機嫌でうそぶく。若い衆は店に戻って、一部始終を主人に告げると、

「ちくしょう!人をおこわにかけやがって」と主人が息巻く。それを聞いて若い衆が一言。

「へぇ、旦那の頭が胡麻塩ですから」